ブラジャーVSレーシングカー 2
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60況下、いわゆる売り手市場だったから、土台、人質に出来るような話でも立場でもなかった。もし、この時に洋子氏が「株を売らない」と言い出したら、東レが私と対立する人物が株主のままのDCMを買収することは有り得ないし、それ以前に、私は、即刻、東レへの譲渡を先延ばしして洋子氏の株を紙くず同然にするくらいの処理をするだろうから未然に洋子氏の横暴を阻止できたはずで、竹村弁護士はこのM&Aを人質のように思っていたのだろうが、単なる思い違いだった。加えて、このM&Aの目的は私が利益を得ようとしていたのではなく、私財を投じて日本のレース界の明日を切り開くプロジェクトに投じようとしていたのだから、私利私欲から預かっていただけの私の資産を我がものにしようと画策する洋子氏や竹村弁護士の振舞いとは、その志において真逆の行為だった。第3章 私と竹村弁護士の最初で最後の対決最初から勘違い発言でスタートした上に、竹村弁護士と駆け出しのM弁護士との面談が重なるとともに、ますますエスカレートする勘違いな要求と上から目線に立腹した私は、竹村弁護士に、岡本先生による塚本家の相続対策から連綿と続く経緯を説明するために、2012年12月25日、最初で最後となった竹村弁護士との直接対話に臨む。塚本家の相続対策の立役者である岡本先生を蔑ろにするような振舞いは止めろと諭し、林家も含み、全ての相続対策を指導してきた岡本先生を排除して、突然に出てきた過去の経緯を知らない竹村弁護士が出しゃばるのはおかしいと説明したが、「私は税金のプロです。岡本先生のなされたことくらいは解ります」との一点張りで耳を貸そうともしなかった上、「米原の土地は童夢にお金がなかったから買って貸してあげたのだから洋子氏のもの」という有り得ない言いがかりを言い出したものだから、私は激怒して席を蹴って帰ってしまった。洋子氏も「林氏が激怒して席を蹴って帰ってしまったために何も決まらなかった」と認めている。第4章 突然に出てきた離婚届この、私と竹村弁護士の物別れ会談の5日後の年末、岡本先生が、毎年恒例となっている「すぐき」のお歳暮を洋子氏に届けに行った時に、なぜか洋子氏は署名捺印済の離婚届を岡本先生に渡している。岡本先生から電話で報告を受けた時は、まだまだ気持ちの整理も追い付いていない時

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