ブラジャーVSレーシングカー 2
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50別居後、最初のマンション。40m2のワンルームだったから閉塞感に気が狂いそうだった。別居直後には、まだ洋子氏とは連絡を取り合っていたから、既に予定していた恒例の「桜を見る会」は開催することにした。また、私も洋子氏も息子も7月生まれだったから恒例となっていた誕生日会も共同で開催することにしたが、もう別居を知っている人も少なくなかったので、誕生日会の時に発表した。これも恒例となっていた8月の「大文字を観る会」も共同で開催したが、私は来客たちと帰るというおかしな状況だったものの、友人たちは別居の事実は認識しながらも、こうして一緒にパーティを開催している現実を見て、いずれ元に戻るものと思っていたようだ。しかし、このようにパーティは一緒に開催していたが、友人たちの印象ほど関係は改善されておらず、実際には、パーティの時以外には全くといってよいほど接点はなかった。第19章 別居このまま下鴨の家に留まっていられるほどの胆力はなかったので、結果、2012年4月、追い出されるように家を出た。こんな緊急避難的仮住まいであっても、賃貸も中古も嫌だった私は、友人の販売する新築マンションを入手したが、しかし、売れ残っていた部屋は40m2という下鴨の家のクローゼットよりも狭いワンルームだったから、およそ、大人が住めるような環境ではなかったものの、当初は直ぐに復縁するものと思っていたので、とにかく耐えるしかなかった。しかし、洋子氏とは復縁どころか、ますます紛争はエスカレートしていったから、結局、それから1年以上、その学生マンションのような部屋で暮らすことになるが、長引くにつれて、その迫りくる壁の重圧は、実質的にも精神的にも耐えがたくなっていた。

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