ブラジャーVSレーシングカー 2
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49第3部 結婚から離婚まで散財から事業としての成長に舵を切っただけで、2005年には年商は30億円に達し、開発という業容だから仕入れが少なく利益率も高いので、この年は1億円の法人税を納めているし、2006年に建設した「DOME RACING VILLAGE」のための10億円の借入金も数年で返済して2012年には無借金経営を達成しているくらいだから、(相対的なスケールは別として)その凄まじい飛躍ぶりは解っていただけるだろう。皮肉なことに、塚本家の経済力への対抗心が童夢の飛躍的な発展振興の原動力になったという一面も否定はできない。第18章 関係悪化 プライベートなことは、この事件とは関係ないので割愛するが、もちろん、好きだったから結婚しているし、婚姻中も、基本的に私は洋子氏のことが大好きだったし自慢の奥さんだった。ただ、それは、料理が上手とか甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるとかの話ではなく、親の七光りであっても、やはり普通の女性とはスケール感が違ったし、発想や行動力は横で見ていても面白かったから、いわゆる人間的魅力という点で飽きない存在だった。そうして21年間も続いていた婚姻関係も、2011年になって、私が資産を売却して「童夢と林みのるの最後の夢」のプロジェクトを立ち上げると言い出した頃から、何故か、急激に関係が悪化していった。その売却する資産には、相続対策のために既に洋子氏の名義に変えていた子会社の「童夢カーボン・マジック(以下DCM)」の株や米原の土地なども含まれていたから、自らの名義になり自らの財産のように思っていたものを取り上げられると思ったのか、あとで分かったことだが、米原の土地の清算資金を自分の会社の経費に流用していたから、現実問題として返却できなかったのか、それとも、単に離別の時が来ていたのか、その辺りは定かではないものの、たちまち、家庭内はギスギスとして最も居心地の悪い空間となっていった。たまりかねた私が長文の関係改善のお願いの手紙を書いたものの、半年以上も梨の礫だったうえ、私が、近くの大学に入った息子の独り住まいに大反対していたのにもかかわらず、洋子氏が私に内緒でマンションを用意して息子を家から出してしまったので、その息子と結託しての騙し討ちのような仕打ちに憤慨した私にとって、もう下鴨の家に身の置き所はなくなっていた。

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