ブラジャーVSレーシングカー 2
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48説いて引き抜いたという話だ。私も、洋子氏がシェフをお気に入りなのは気が付いていたものの、私は円満に退店すると聞いていたから全く問題意識は持っていなかったので、親友に「シェフを引き抜かれた」と言われたのはショックだったし、そのカフェの開店に協力するということは親友を裏切ることにもなりかねないから、急に冷や水を浴びせられたような気持ちに陥った私は、それからますますカフェ計画からは距離を置くようになっていった。その後、この幼馴染の親友は癌が見つかって余命3ヶ月と宣言されるが、洋子氏は、奥さんと二人で憔悴しきっている病室にお気に入りの祈祷師を連れていってお祓いをした上で、「この祈祷師の先生がお祓いで癌を退治するから絶対に抗がん剤を止めて」と言ったそうだが、幼馴染の親友は無視して日本では認可されていない抗癌剤を輸入して5年間生きながらえた。その後、危機を脱してから下鴨の家に遊びに来ていた時、その祈祷師の話を聞かされた上で「お前の奥さん、大丈夫か?」と言われ、シェフ引き抜きの件もあったから、かなり恥ずかしい思いをしたものだ。同じころ洋子氏が、その祈祷師の男をいろんなところに連れ回してお祓いをさせているという噂が多方面から耳に入ってきていたから、何よりオカルト大嫌いな私は、一言でいえば「気持ち悪く」なり離婚を決意するが、可愛い盛りの子供と離れたくなかったし、洋子氏の姉の真理氏からも説得されて翻意した。ここで別れておけば被害は少なかったのに、残念至極だ。第17章 遅咲きの経営感覚それまでの私は、レーシングカーを作るために全てを浪費してしまうような自転車操業的な状況が当たり前だったし、お金はあればあるだけレーシングカーの開発につぎ込んでしまっていたから、そもそも、企業というよりも趣味の同好会のようなものだった。しかし、下鴨に転居した頃から生活費の概念が変わっていった。やはり資産家の遣うお金は桁が違ったし、割り勘にこだわっていた私には経済力が必要になっていた。また、塚本家のパーティに集まる財界のお歴々と接するようになると、その人たちの他人を計る尺度が、年商とか従業員数だったりする現実を目の当たりにして、生まれて初めて自らの経済力を意識するようになってきた。タイミング的にも、2000年に建設した風洞実験設備が高い収益をあげ始めていた頃だったし、子会社の「童夢カーボン・マジック」も順調に業績を伸ばしていたから、ちょっと、レースで

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