47第3部 結婚から離婚までから、つまり、月額170万円の収入もセットにしておいた。この条件は米原の異常に高額な清算資金額を遥かに凌駕する、利回りに換算すると20.4%に相当し、銀行への返済も5年で終了してしまうという有り得ない好条件だった。米原の件でもお解り頂いたと思うが、私の洋子氏への気遣いは半端ではないと思うのに、全く伝わっていなかったようだ。第16章 洋子氏が宝ヶ池にカフェを開店ところが、2009年になって、漢字検定が例の事件で退出する事になったので、私が次の店子を探す間もなく、タイミングを見計らっていたように洋子氏がカフェを開店すると言い出した。 これは寝耳に水の話だった。私は、基本的に水商売(という商売)が好きではなかったし、未経験の洋子氏が成功するとも思えなかったので嬉しい話ではなかったが、作戦だったのだろうか、洋子氏は「童夢発祥の地だから[童夢-零]をモチーフにした店づくりをしたら童夢のファンが来てくれると思うの」と、私の心をくすぐるような構想を語った。基本、私は洋子氏の言いなりだった。従順な亭主というよりは、普通の夫婦と違って経済的に独立した関係だったから対等の立場であり、自主性を重んじるべきという筋論にこだわっていたからだ。私は、気持ちとしては大反対だったが、反面、洋子氏が童夢に利用価値を感じてくれたことを嬉しくも思っていたから、結局、賛成も反対もしないまま見て見ぬふりという感じで洋子氏のカフェ開店計画はスタートし、私は、求められるままに「 D + cafe 」というマークやロゴのデザインをしたり、ステッカーを作ったり、店の周囲のル・マンのピット風のディスプレイをアレンジしたり、壁面いっぱいに貼る「童夢 P-2」の写真をプリントしたり、距離を置きながらも要求には応じていた。そんな、洋子氏のカフェ計画が進んでいた頃、大阪の尻無川に浮かぶフローティング・レストラン「スワン」を経営していた幼馴染の親友、山崎勇祐氏から呼び出され「洋子氏が、ウチで働いていたシェフを引き抜いて京都で店をやると言っているらしいが、知っているのか?」と聞かれた。その親友によると、彼のレストランもリニューアル・オープンしたところであり、シェフを引き抜かれたら困るので洋子氏をたしなめてほしいということだったが、私は、シェフは、その親友の店とは折り合いが悪くて辞めたので拾ってあげたくらいに聞いていたから寝耳に水の話だった。さらに驚いたのは、その親友の奥さんによると、洋子氏が、そのシェフに熱を上げて熱心に口
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