ブラジャーVSレーシングカー 2
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46負担して株の名義を変えていったり、これからも山ほど出てくるが、あらゆるケースにおいて、私は「きれいごと」にこだわり過ぎていたから、結果的に利用されて裏目に出ているケースが目立つ。どうも、この世の中、正直者が損をするような話が多すぎるし、逆に、ずるい奴が得をする話も多すぎるから、間違っても「最後に正義が勝つ」などとは教えない方が賢明だろう。大怪我をすることになる。話はそれたが、そこで岡本先生が調べた結果、月額180万円くらいが贈与と判断されない限界とのことだったので、相場の3倍に相当し、利回りにすると10%を遥かに超える有り得ない高額での清算を決めたが、それは、当時の童夢の勢いを象徴するように、10年以内で清算が完了する異常な設定だった。童夢が購入するということで交渉が進んでいたのに、直前に買主が変わるのだから交渉は一からになるところだが、幸い、地主の京セラの稲盛さんは、幸一氏亡き後の塚本兄弟姉妹の親代わりを公言している人だったから、問題はないだろうということで洋子氏が報告に出向いたところ、稲盛さんから、安くするから最後に残っていた2区画を買ってはどうかと言う提案を頂き、かなり安い金額を提示されたので、不要な広さだったが買うことにした。そのために、予算は1億5,000万円から2億円に上がったが、もとより、購入価格に関係なく最大限の清算額を決めていた童夢にとって、何の支障も問題もなかった。予定通りであれば、童夢は月額180万円を10年間にわたって払い続けることによって、洋子氏には何の負債もないまま土地は洋子氏の所有になるから、離婚していなければ、数千万円は必要だったはずの相続税が回避されるはずだった。第15章 宝ヶ池の旧童夢本社の不動産童夢は1978年、私が33歳の時に京都の宝ヶ池に本社屋を建設したが、初めての自社社屋は私がデザインした最初の建物であり、私にとっては誇りでもあり何物にも代えがたい宝物だった。だから、経済的に余裕の出てきた2005年になって保存を目的に買い戻し、直ちに荒れ果てていた外観を修復したが、当面は使用する計画はなかったので空き家のままにしてあった。ところが、前年の2004年に、岡本先生の指導により米原の本社建設用地を洋子氏の会社に買わせていたので、宝ヶ池も同様の方法で洋子氏の会社に買わせることになり、私は、1億円で売却すると同時に、清算資金として童夢から月額70万円の空家賃を支払うとともに、友人の漢字検定の大久保君に全館を借りてもらって月額100万円の家賃収入が得られるようにした

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