44第12章 等価交換により土地を取得この辺りの私の行動パターンは特殊で解りにくいと思うし、友人の多くは、塚本家が全額負担して作ってくれた豪邸にタダで暮らせるのだからラッキーと思っていれば良いと言うが、どことなく漂ってくる居候か婿養子的雰囲気も落ち着かなかったし、「ウチの家」と言うと「洋子ちゃんの家だろ」と突っ込む友達も少なくなかったし、「借り」とか「負い目」とか「迷惑をかけること」などを極端に嫌う私にとっては、この先、この状況に耐えていく自信は全くなかったので、何とか半分を所有する方法はないものかと、岡本先生に相談を始めていた。義父との約束では「結婚してもお互いの財産は完全に分離しておくこと」となっていたから、塚本家が全ての費用を負担した家で暮らすことは塚本家の財産を利用していることにならないかと悩んでいたし、洋子氏の頭の中に「私がお金を出している」という意識がある以上、これからもさまざまなシーンで言葉や態度として出てきそうだったから、私の気持ちとしては1/2を負担したいところだったが、当時の私の財力では如何ともしがたかったので、岡本先生が提案してくれたのは、当時、私が所有していた2件の不動産とその新居の土地の半分を等価交換により取得して、建物を良枝氏、土地の1/2ずつを私と洋子氏の所有として、それぞれが1/3ずつを所有するというアイデアだった。岡本先生いわく、義母の希望により3人で暮らすのだから負担は1/3で良いのではという玉虫色の妥協案だったが、なぜ玉虫色かといえば、土地の1/2よりも建物の方が高かったので実質的な負担は1/3に届いていなかったからだ。まあ、当時の私には、それが限界だったから妥協するしかなかったが、しかし、この一件で岡本先生は私が下鴨を終の棲家と決めている、つまり、洋子氏と添い遂げる決意をしていると判断し、そうであるならば林家でも相続対策が必要ということになり、それから相続対策を加速していくことになったから、結果的に、この私のこだわりが全ての災いの火種となっている。第13章 林家の相続対策この頃は、塚本家における岡本先生の相続対策が目覚ましい効果をあげていた。また、その頃の童夢は、1998年に「童夢カーボン・マジック」を設立したり、2000年に東洋最大の50%ムービングベルト風洞「風流舎」を建設したり、世間を驚かせるような大躍進ぶりだった。私の趣味色の濃厚な童夢という会社が、ここまで伸びるとは想像もしていなかった岡本先生は、膨れ上がる資産内容を見ながら、林家の相続対策を加速させないと手遅れになってしまうと心配し
元のページ ../index.html#70