43第3部 結婚から離婚まで洋子氏が「私がお金を出しているんだからインテリアくらい私の好きにさせてよ」と必殺技を繰り出してきた。この辺りのやり取りは当時の我々夫婦の手紙に詳しいから鮮明に記録が残されているが、「私のお金で」と言われてしまっては引くしかない私は、玄関の半透明のFRPの雲のような形をした照明だけはお引き取り願ったものの、かなりの部分はイタリア人デザイナーに任さざるを得なくなった。当時の竣工の案内書には「構造には、あくまでも合理性を追求したレーシングな思想を貫いていますが、家内の担当である内装には少しお洒落もしていますので、さしずめ、レザーシートのフォーミュラ・レーシングカーというところです」と夫婦合作のように書いたが、見る人が見れば「内装は私のデザインじゃないから間違わないでね」というアイロニーの練りこまれたメッセージであることが解っただろう。普通に考えると、洋子氏が全額を負担するのだから洋子氏の選んだデザイナーの意見も取り入れて作り上げれば良いということになるのだろうが、デザイナーとしての私の立場からすれば、自分が認めていないデザインの家に住むことは苦痛でしかなかったし、それでは話が違うということになり、この出来事は、これから「塚本家の家」に住むのだという現実を思い知らされるきっかけとなった。第11章 下鴨の新居に転居2003年になって新居が完成し転居する。土地だけでも3億円だったし建築費は2億円を遥かに超えていたから、単純に計算しても6億円近い超豪邸だった。家の裏側は広大な鴨川に面していたし、そこは有名な桜並木だったから緑あふれる借景が拡がっていた。私のデザインした庭は、その鴨川の光景を活かすように、ほとんどの面積に白いインターロッキング・ブロックが敷き詰められていたから、より一層、景観を際立たせていて枯山水の風情を演出しているとも言える名庭だった。ブロックを敷いただけだが。
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