ブラジャーVSレーシングカー 2
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42第10章 塚本家が下鴨に豪邸を建設このように、塚本家が相続対策に奔走している頃、塚本家が建てる豪邸への引っ越し話が出てきた。新婚当初は私の所有する修学院の家に住んでいたが、1998年に塚本幸一氏が亡くなってから、独り残された母が娘(洋子氏)との同居を望み、洋子氏も母の面倒をみたいと言い出した。私には洋子氏の希望に沿いたいという思いもあったし義母との同居が嫌だったわけではないが、それが塚本本家での同居で義母の存命中という話なら解るが、しかし塚本家の要望では、塚本家が全費用を負担して隣接地を購入して豪邸を建設するという豪勢な話だったから、躊躇が先に立った。そうなると、京都の最高級住宅地の下鴨の中心部に、塚本幸一氏の豪邸の隣に塚本能交氏の豪邸が並び、その隣に洋子氏の豪邸が並ぶという、いわば塚本部落の中によそ者が独り放り込まれるような環境となるし、今後、恒久的に洋子氏の家に住まわせてもらうことになる。それなりに独立独歩の自主性にこだわって生きてきた私にとって、そんな養子や居候のような立場はまっぴらだったし、また、義母としては、同居したいという理由の他に、兄の能交氏にも姉の真理氏にも、結婚に際して豪邸を建ててあげているのに、洋子氏だけが私のこじんまりした家に住んでいるのはかわいそうという声も聞こえていたから、洋子氏のために豪邸を建てることが前提となっていた。だからといって、そのために私が自力で建てたお気に入りの家を捨てなくてはならないというのも気分の良い話ではなかったし、当時は、ワコールの社長となって少し偉くなっていた塚本能交氏との関係も昔ほどフランクではなくなっていたから、隣同士は気が重かった。それやこれやで、1年にわたり首を縦に振らなかった。そんな膠着状態が続いていた頃、隣接地が売れそうになって焦った義母が土地を購入してしまったから、嫌も応もなくなり、諦めた私は、それからは協力して新築する家の設計に没頭していた。その頃、洋子氏がどこかで知り合ったイタリア人インテリア・デザイナーを連れてきて、彼にインテリアを任せたいと言い出した。私の性格を良く知るはずの洋子氏が、これを私に言ったこと自体が信じられないが、言うまでもなく私は、レーシングカーやスポーツカーを何十台もデザインしてきたデザイナーであるし、今までの童夢の社屋も自宅も、ドアノブひとつ、床板一枚までも自らが選び抜いたものを使うし、どうしても気に入ったものがなければ棚板のアングルまでフライス加工して作ってしまうというこだわりの強すぎる私が、絶対に他人にデザインを任せることは有り得ないし、他人のデザインした家に住むのなら、最初から転居の話はなかっただろう。当然、洋子氏の申し出に抵抗を示したが洋子氏も譲らなかったからぎくしゃくしていた時に、

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