30思わず眼がしらが熱くなってきたものだ。会場に並んでいた料理も景色が違った。料理長の説明によると「メニューから食材まで林氏の指定により作っており、通常の宴会では考えられないコストがかかっている」と仰っていたし、ワインも林氏が選んだ逸品しか置いていないとのこと。美味しかった。しかし、それは序の口だった。次に通された懇親会場では腰が抜けそうになった。京都中の芸妓さんの総てを総動員させたいのではないかと思える数の舞妓芸妓さんに迎えられて驚いたが、その上、そのホテルの5つの宴会場を「祇園」「先斗町」「上七軒」「宮川町」「祇園東」という京都の五花街に分けてお座敷を設えて京都の縮図を再現し、ゲストたちには、本格的な京料理や野点が振る舞われて、舞妓の踊りを鑑賞し、お座敷遊びに興じた。後で聞いた話だが、林氏はかねてより「70歳になったら仕事は止める」と宣言していたから、70歳の誕生日の前日の7月15日に引退パーティを開催したわけだが、この日は京都最大のお祭りである「祇園祭」の宵々山であり、芸舞妓さんの確保だけでも難しいのに、その上、各花街のお母さん(ボス)が全員やってきて仕切っていたそうだから、地元の遊び人にも「有り得ない」と言わしめるほどの光景だったようだ。また、各花街の演出として「書割」という歌舞伎の舞台の背景などで使われる独特な絵で仕立てられており、この平面的に表現する技法が独特の世界観を醸し出していたが、これは実際に京都の南座の書割を描いていらっしゃる棟梁の中田節氏の手になるもので、こんな所にも林氏のセンスが光っていた。帰りのお土産が重かった。しかし、中に入っていたのは、林氏が数名の有力な自動車ジャーナリストの協力のもと1年をかけて制作した濃密な内容の分厚い本で、その中に童夢の歴史が凝縮されていた。おまけに、遠方から来てホテルに宿泊した人の宿泊費も払われていたし、芸舞妓さんに誘われて夜の街に繰り出した人の呑み代も林氏に回されていたそうだから、とにかく、常識はずれのスケールだった。しかし、その「童夢の終わりと始まり」の目を見張る華やかな演出に目も眩みながら、宴が終わってみれば、結果的に、林氏が引退し、童夢が人手に渡り、日本の自動車レース界に多大な足跡を残してきた林みのるという貴重な存在が消えていくということだけが伝えられて、パーティは、ある意味あっけなく終わってしまった。
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