29第2部 「童夢と林みのるの最後の夢」(山口正己特別寄稿)特に、この種の負い目に滅法弱い林氏は、絶えず「レーシングカーを作れ」と要求し続けるものの、あまり強く要請できないまま数年の時が流れ、諦めた。当初の譲渡時に、井川氏はU女史を自らの代理として経営に当たらせようとしていたが、林氏は全く無理と判断したので譲渡を止めると言い出している。そこで、U女史が慌てて連れてきたのが高橋氏だが、レース好きの高橋氏にとっては夢のような話だったようで、真剣に童夢の経営に取り組んだ。しかし真剣なるが故に、何かにつけて井川氏の威光を笠に着て口を出してくるU女史を疎ましがるようになるが、一方のU女史は、言いなりになるはずの高橋氏の反発を不快に思うようになって、徐々に、両者の間の確執が深くなっていった。そんな中、U女史を否定して高橋氏を選んだ林氏としては高橋氏を擁護する立場にあるから、いつの間にかU女史VS高橋氏と林氏という対立構造が出来てきたが、この対立は、U女史を盲目的に信頼する井川氏が高橋氏を追放することにより決着が付き、童夢はU女史の支配下に堕ちたので、高橋氏を支援していた林氏も童夢とは距離が出来てしまい、童夢の創業者が童夢と敵対関係に陥るという考えられない結果となっている。第15章 「童夢の終わりと始まり」ちょっと時間は遡るが、2015年7月15日、林氏は予告通り引退する。その「童夢の終わりと始まり」と銘うった引退パーティが凄かった。出席したレース関係者の驚きの声がネット上に溢れていたが、それは、誰もが目を丸くするような豪華で濃厚で瀟洒で粋な催しだった。まず、その会場である京都東急ホテルの玄関に「童夢-零」と「MACRANSA」と「カラス」が展示されていたが、「MACRANSA」と「カラス」は、この日のために復刻されたレプリカだった。大宴会場には、500人のキャパをオーバーする約600名の来賓であふれていた。定時の16時00秒にパーティが始まった。長い挨拶は一切なかった代わりに、世界のレースシーンを撮り続け数々の映像作品を創り出している「y2」制作の映像に、林氏の甥っ子にあたる作曲家の「林ゆうき」氏の楽曲を挿入した20分のビデオが上映された。林氏の子供の頃から現在までの足跡を駆け足で紹介していたが、その内容の濃密さは、よく知っていたつもりの私でさえ感銘を受けたし、そのビデオの最後に 「これ以上は無理だったが、これ以下では満足できなかった」という林氏の言葉が出てきて、
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