28第13章 童夢の継承の顛末「童夢と林みのるの最後の夢」を実現するためには、その中核としての童夢の存在がマストだから林氏は後継者を探していた。当初、東レは童夢の買収も希望していたが、冒険的なプロジェクトである「童夢と林みのるの最後の夢」と東レとの親和性は期待できなかったし、童夢の技術力の維持にはレーシングカーの開発を続けることが必須条件ながら、東レが積極的に取り組むとは思えなかったから、林氏は、レーシングカーの開発を続けてくれる後継者を求めていた。古い友達に井川兄弟がいた。兄のギャンブルがらみの不祥事により(林氏は井川氏に気の緩みはあったものの、事件の全体像としては会社の乗っ取りだと判断している)、井川家が大王製紙から追い出され、弟が香港に移住していたが、この井川氏(弟)は大のレース好きで、自らフォーミュラのドライバーとして活躍しており、以前から林氏のところを訪れてセッティングについてなどの相談をしていた、いわばレース仲間だった。井川氏が香港に住むようになってからも、日本やハワイや香港で会うなどの交流が続いていたが、そんなある日、何かの折に、井川氏から「童夢を継承したい」という話が出たのをきっかけに、具体化の検討が始まった。ここからは、紆余曲折がありすぎて簡単には説明できないし、本書の主旨とは異なる話だから概略に止めるが、詳しく知りたい方は、林氏の著作になる『童夢から』を参照していただきたい。超概略だけを言えば、「今後もレーシングカーの開発を続ける」ことを条件に、2015年に井川氏に童夢を譲渡するものの、井川氏が投入してきた童夢社長の高橋氏も、その後を引き継いだU女史も、結局、レーシングカーを作ることもないままに今日に至っている。第14章 それからの童夢井川氏への譲渡を検討中に既に「童夢と林みのるの最後の夢」はとん挫していたし、他の2本の柱も、井川氏と約束していた訳ではないから義務でも契約違反でもないものの、譲渡後に破綻していた。誰がこのような不幸な結末を予測できただろう。林氏は、童夢がレーシングカーを作り続けていたことから技術者が集まり、技術力が養われ、設備が整い、その結果として自動車メーカーからの仕事が舞い込んで来ていた事実を体験として知っているから、童夢はレーシングカーを作り続けないと生きていけないと言い続けていたし、井川氏も納得して継承しているはずなのに、井川氏も高橋社長も実際に経営に携わると目先の利益の見込めないレーシングカーの開発には二の足を踏んで先送りをしていた。しかし、予定していた3本の柱が全滅してしまったことに負い目もあれば心配もあったし、
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