ブラジャーVSレーシングカー 2
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26第9章 レーシングカー開発技術力の維持と向上だけが目的引退を表明しているのに新規事業を立ち上げるのは矛盾しているように見えるが、まさに矛盾している。林氏は20年間も警鐘を鳴らし続けても理解しない人たちを相手に、これ以上の努力は御免こうむりたいと思っていたから引退の決意は変わらなかったが、一方で、単に敗退するのも負け犬のようで面白くなかったので、最後に、レース界に向けて強制的に自らの主張が正しかったことを見せつけるために、「童夢と林みのるの最後の夢」を立ちあげた(と思う)。そのためには、開発を童夢が担当する必要があったし、その新事業を運営していく人材とか組織とかも必要だったから、童夢がそれらの運営を担うしかなく、つまり、童夢を温存することは決めていた。しかし問題があった。今までがそうであったように、このドライバーの運動会のような日本の自動車レース環境において、童夢が、辛くもレーシングカーの開発を続けてこられたのは自らの破天荒な振舞いの結果であることを自覚していた林氏は、開発技術に関して砂漠のような環境で、このままの童夢を継承できるような人材はいないと思っていたから、簡単にいえば、 童夢を運営のしやすい業態に変えてから継承を望む人に任せることを考えていた。第10章 童夢を支える(はずの)3本の柱そのために林氏は、これからの童夢の経営を支える3本の柱を用意していた。1本目の柱は、この「童夢と林みのるの最後の夢」だが、2本目の柱は、当時のトヨタの副社長の要望により、TRDのレーシングカーの開発能力を向上させる政策として、必要以上に勝ち負けにこだわらずに、低予算で良いから安定的に継続的にル・マンのLMP2クラスのレーシングカーの開発とレース活動を続けるという計画に協力していた。計画は具体化してゆき、童夢でル・マンカーの開発を担当していたトップの技術者9名をトヨタに移籍させると共に風洞実験設備も売却し、引き換えに童夢は、レーシングカーの製作とレース活動を受託することになっていた。3本目の柱は、童夢カーボン・マジックを東レに譲渡した際に、設計業務は従来通りに童夢が担当することを約束していたから、「童夢と林みのるの最後の夢」と共に、この3本柱がこれからの童夢を支えるように万全の準備が整えられていた。 これは、客観的に見ても完璧な計画だった。

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