22だったが、その時も、簡単な書類審査だけで型式認定の許可を得られると聞いた。しかし、これまた20年前と同様に、この会社も経営は順調ではないようで、単純な開発依頼ではなく、やや火中の栗を拾うような状況も有り、林氏としては踏み切れないままに、話は一進一退を繰り返していた。ビジネス的には危ない会社には近寄らないほうが身のためだが、 その頃から林氏の頭の中では「童夢と林みのるの最後の夢」に繋がるアイデアの種火が燃え始めていたようで、近寄らないどころか、マレーシアの弁護士事務所に依頼して、この少量生産メーカーの経営状況と型式認定の許可の仕組みを調べたところ、かなりの負債があることや、昔よりは難しくなってはいたものの、型式認定を取得できる立場にあることが分かった。どうやらマレーシアでは、一昔前に、国内産業の育成のためにいくつかの少量生産メーカーに型式認定の許可を与えており、現状、生き残っているのはその1社だけで、エンジンは輸入できるが車体は輸入できないということと、FTA(自由貿易協定)によってタイからは輸入ができることも分かった。これは朗報だった。というのも、現在のスポーツカーの開発にカーボン・モノコックは欠かせないが、その頃、林氏はタイに「童夢コンポジット・タイランド」というカーボン製品の製造会社を設立しており、それならばタイから輸出できる。つまり、車両の デザインや設計や試作などの開発は童夢で行ない、童夢コンポジット・タイランドからカーボン・モノコックを供給し、その少量生産メーカーが型式認定取得と生産を担当するという、 絵に描いた美味しい美味しい餅が、こんがりと焼きあがりつつあったわけだ。当初は、その会社とのタイアップを考えていた林氏だが、その少量生産メーカーの財務状況は深刻だったにもかかわらず、社長は、中国から買収の話が来ているとか、政府から補助金が下りるなどと言って強気の姿勢を崩さなかったために、腹の探り合いが続き話は平行線をたどっていた。加えて、最新のスポーツカーを生産するためにはかなり大規模な設備投資が必要だった。中途半端に手を出すと共倒れになりかねないので躊躇が続いていたが、中途半端に手を出せないということは、諦めるか買収してしまうか、どちらかだった。第5章 浮かび上がる「童夢と林みのるの最後の夢」さまざまな要件をひっくるめて林氏の脳裏にあったことをまとめると、日本の自動車レース産業と技術の育成を基軸とした日本の自動車レースの発展振興と、公道を走れるスポーツカーの少量生産システムの構築を、車の両輪のように融合して相乗効果を発揮させるというアイデアだった。
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