ブラジャーVSレーシングカー 2
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17第1部 「林みのる」の引退と事件の発端まで(山口正己特別寄稿)第3章 童夢の奇跡と林みのる氏の引退今から30年弱前、「童夢の奇跡」というタイトルのF1開発ゲームが発売されてから、よく「童夢の奇跡」というバッチを付けられるようになったが、それは大袈裟でも言い過ぎでもなく、まさに奇跡だった。ただし、それは「よく、この国で潰れずにやってこられたものだ」という意味の奇跡だが、実際にその足跡を辿れば、存続していたというだけの奇跡ではなく、よくぞ、このレーシングカー・コンストラクターにとって砂漠のようなこの国で、ここまでの活躍が出来たものだと感心するほど、中身は濃密だ。その活躍ぶりは、林氏のホームページ「林みのるの穿った見方」でご覧いただくとして、ここでは、林氏が引退を決意した頃からの、坂道を転がり落ちるような凋落の過程をたどっていきたいと思う。まずは、林氏自身の見果てぬ夢であったレーシングカー・コンストラクターとして成功(本人の目指していた次元とは違うとしても)していたし、事業としても米原に壮大なDOME RACING VILLEGEを建設したうえで無借金経営を実現していたし、大手企業が童夢や子会社の譲渡を 望んでいたような状況下、どうして引退を決意するに至ったかを解説したい。この辺り、林氏本人の言葉や記述と私の考察は一致している。林氏が以前から、日本におけるレーシングカー・コンストラクターという商売は「南極でクーラーを売ったり、アフリカで ストーブを売ったりするのと同じ」と自虐的な表現をしているほど外国かぶれの業界だったし、前述したように、林氏は日本の技術と産業の育成なくして日本の自動車レースの発展振興は 有り得ないと言い続けてきたのにもかかわらず、レース界の全ての人がそっぽを向いたままだったから、もう、諦めたし、嫌になったし、飽きたから、レース界を離れる、つまり、引退に向かったわけだ。では、なぜ引退を決意している林氏が「童夢と林みのるの最後の夢」という気宇壮大なプロジェクトの実現に向けて走り始めたのだろうか。普通に考えて、林氏は童夢と童夢カーボン・マジックのほとんどの株(一部、退職金代わりに役員に持たせていた分を除き)を所有していたし、両社とも無借金経営を達成していたし、 大企業が譲渡を望んでいた状況下、(ここは私の推測になるが)数十億円を懐に(税金は取られるが)悠々自適どころではない超豪勢な老後を満喫できたはずだ。

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