199第21部 覆水盆に返らずたわけで、私から言えば、努力の甲斐はあったし、諦めていたら悔いを残すことになっただろうし、戦い続けてきたのは正解だったから、土台、無責任で的外れな忠告だったと思っている。<肩の荷の90%が降りた>この10年間の戦いには大別すれば2つの目的があった。1つは「金を貸して返していない」などという濡れ衣を晴らすことであり、もう1つが童夢の25%の株の奪回だった。特に童夢の25%の株に関しては、前述したように洋子氏は取りに来る気が満々であり、私が死んだ時に洋子氏の代理人の弁護士が判決文をかかげて取りに来るのは確実だったし、医学の勉強しかしてこなかった妻には防ぎようもないだろうから、遺族に禍根を残して死ぬことに心を痛めていた。そして苦節十年、第19部「最後の最後のどんでん返し」で述べたように、遺留分をふくめ、遺族に禍根を残す部分については解決に至ったから、正直、肩の荷の90%は降りた。残るは「金を貸して返していない」とか「童夢に金がなかった」とか「生活費を一切負担していなかった」などと言われた私の名誉を棄損する嘘八百を詳らかにすることだが、今までの戦いを振り返って思うのは、実は、戦ってきた相手は世間だったのではなかったのかという疑問だ。塚本家の大胆な相続税の脱税行為についても私は様々な方法で世間に訴えてきたし、「童夢に金がなかった」とか「生活費を一切負担していなかった」などに関する嘘も明白な証拠を示して反論してきたし、「金を貸した」という大嘘に関しては全く証拠がないから証拠を示せと言い続けてきたが、誰ひとりとして塚本家や洋子氏を責める人は現れなかったばかりか、逆に、どんどん私の方の世間が狭くなっていくのだから、そこから見えてくるのは、土台、一部上場企業の創業家には逆らえないし太刀打ちできないという現実だ。肩の荷の90%が降りたし、大久保君に言われていた箝口令も解けたあと、ほとんど書き上げていた本書の仕上げにかかったところ、読み直すたびに手直しが重なり堂々巡りのようになっていた。何が変わったかと言えば、初稿と比べると明らかにトーンダウンしており、むき出しの闘争心や憎悪の感情が薄れ、端々に諦めの気持ちも滲み出るようになっていた。それでこれだから、激怒していた頃の初稿の内容の過激さは想像していただけるだろう。無関心だったり眼を背けている人に届かぬ声を張り上げ続けるのにも疲れてきたし、10億円の資産が奪われている割には騒いでいるのが私1人というのも孤独感を募らせていたし、これだけの悪事が許されてしまう現実をどう捉えてよいのかも解らなくなっていたから、諦め
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