198第21部 覆水盆に返らず<的外れな忠告>この紛争が勃発したのが何時かと言えば、洋子氏が突然に弁護士の投入を通知してきた2012年10月6日かもしれないし、私と竹村弁護士の初会談で私が激怒して席を蹴って帰ってしまった2012年12月25日と言えるかも知れないが、いずれにしても10年以上が過ぎてしまった。私は当初、こんな理不尽な不正がまかり通ると思っていなかったし、世間も許さないと思っていたから油断していたが、しかし、不正はまかり通ってしまったし、世間も許してしまった。当初は、なぜ世間は許すのだろう? なぜ私が孤立していくのだろう? と不思議でならなかったが、私が正解を認めたくなかっただけで答えは簡単だった。当たり前のことだが、私は老い先短い隠居老人。対して相手は、これからも京都経済を支え続けるであろうワコール塚本家だから、風見鶏でなくとも向かうべき方向は分かるだろう。裁判所でさえ、判決や裁判所の出してきた和解案を見ていただけば解ると思うが、そこから見てくるのは「一部上場企業様に逆らうな」という明確な姿勢だ。私生活においても、あれほどいた友達と思っていた人たちはことごとく去り、あれほどあった行きつけの飲食店の多くに行けなくなり、もう京都は行きずりの街よりも住みにくくなっている。そんな私にも友達と呼べる人は居るが、ほとんどが事件発生後に知り合った人たちであり、だから私の味方というわけではなく、友達といえども、私がこの事件の話題を持ち出すことをはばかる雰囲気もあるし、誰も話題にはしないし、それらの友人達とは、洋子氏や紛争に関しての話題に触れることはないまま、そんな事件はなかった、または終わったという設定のもとで私との付き合いが成り立っているから、いわば表面的な付き合いだ。つまり私は、「洋子氏との紛争に明け暮れる林みのる」と、「そんな紛争は忘れてしまった林みのる」という二面性を使い分けることによって、かろうじて社会とのかすかな接点を繋ぎとめているわけだ。そんな私を心細くしていたのは、「徹底的に戦え! 支援するぞ!」というような強い味方は皆無だった割には、「そろそろ諦めたら?」とか「無理しないほうが良いよ」などと、まるで私が悪あがきしているかの如くに言う人が多かったから、最後の方には、私が間違っているのだろうか? と考え込んだりすることもあったほどだ。しかし、もし、この種の御忠告を聞いていたら「最後の最後のどんでん返し」も起こらなかっ
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