ブラジャーVSレーシングカー 2
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196北白川自宅なので、厳選された30組のゲストを選び、全ての費用を負担して(一部、本人の希望で自己負担)招待した。現地では、ハワイが初めての人のための観光ツアー、ゴルフ組、リピ―ターのためのショッピングツアーの3つのコースに分けて、それぞれに車とガイドを付け、夜は同じレストランで一緒にディナーというシステマチックなプランを用意していたし、みんなにSDカードを配り、最後に回収してアルバムを作ることにしていた。自撮りをしなくても他の人が撮ってくれるから非常に合理的な方法だったし、出来上がったアルバムは素敵だった。結婚式の後は、もうマンションとはいかなかったので、宝ヶ池の奪還には努力しつつも、かなり急ぎ足で土地を探し、自らデザインした家を建てて、やっと落ち着く場所が出来た。睦美は、アルバイトをしながら音大に通い、卒業後はOLをしてお金を貯めるとともに、ロータリーの奨学金を得てアメリカの大学に進学して音楽療法を学び、その後はアメリカの病院でインターンとして働いたのちに京大の医学研究室に所属して医学博士号を取得するという独立独歩の頑張り屋さんで、私が知り合ったのは、ちょうど睦美が医学博士の論文を書いている頃だった。それはそうと、私は、海外には頻繁に出かけていたが、そのほとんどがサーキットのある町だったから、特にイタリアはローマから南は行ったことがなかった。食い意地の張った私は、かねてより行ったことのない南ヨーロッパのグルメ旅に憧れていたから、ずいぶんと前から雑誌をクリッピングするなど情報を集めていたし、結婚したら、当然、睦美と旅に出るつもりでいたのに、思いもかけずに洋子氏との紛争が長引き、それどころではない状態が続いていた頃、睦美が子供を欲しいと言い出した。もう69歳になっていた私にとっては青天の霹靂、真っ平ごめんの話だったが、睦美の思いは

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