194第20部 地獄は続く私の経済状態は、洋子氏に多くを奪われたにしても、相続対策の途中だったので取り残しがあったから、細々とながらも生きていくことはできるが、これが3年くらい後の話だったら、もっと多くの資産が洋子氏の名義に代えられていて、もっと多くを奪われていただろうから、想像したくもないが、アパートでの年金暮らしを強いられていたかもしれない。そういう意味では不幸中の幸いだったともいえるが、土台、泥棒が取り残していったおこぼれのような話だから、やはり幸運の女神には見放されているとしか思えない。洋子氏とは2012年4月から別居を始めた。私は、少し前から家を出なくてはならなくなる予感がしていたので、直前に友達の会社が販売するマンションを購入していたが、しかし、それは40㎡のワンルーム・マンションだったから、転居したものの、床面積480㎡の豪邸から突然にクローゼット並みのワンルームに移った上、洋子氏に住所の公開を止められていたから誰も知らなかったし、宅配も郵便物も届かず、物を置く場所も車を停める場所もなく、加えて、洋子氏からの想定外の要求があり、多くの友達が離れてゆき、岡本先生の仲介が進まないなど、未経験の厄災と孤独と迫りくる壁のストレスに苛まれる日々が続いていた。当初は、いずれ復縁するものと思っていたから耐えるしかなかったが、想像よりも状況が悪化する中、10月6日に洋子氏から「離婚、弁護士の投入、絶縁」を告げられたことから様相は一転する。既に、それまでの半年間のワンルーム・マンションでの暮らしは相当に私の心を蝕んでいたし、童夢の社長が住所不定も不自然だったから、67歳での独り暮らしが確定的になった上は、未練を断ち切り、一刻も早く、この絶望的な環境からの脱出を図らなくてはならなかった。ちゃんとした棲家を探す必要に迫られていたが、その頃は、思い出深い童夢発祥の地である宝ヶ池の旧童夢本社は取り戻せると思っていたので、2階に住んで、1階には「童夢-零」を飾ってみんなが集まる場所にしようと計画していたから、解決を待ちに待っていた。あまりの狭さに耐えられなくなりつつも、結局、そのワンルーム・マンションで1年ほど粘ったものの、ある日、突然に発狂した。どう表現してよいか解らないが、もうその狭い空間に耐えられなくなっていた。それでも、まだ宝ヶ池は取り返せると思っていたから、まだ、土地を買う段階ではなかった。そこで、とりあえずの仮住まいとして広いマンションを購入して、2013年4月に転居した。
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