1381回目の和解の試み(2014年2月25日)1回目の和解の試みは第4部「紛争の勃発」の第15章 「解決を目指す[最終提案]」で説明しているので、ここでは省略する。2回目の和解の試み(2015年7月3日)2回目の和解交渉は、1回目から1年半近く過ぎて裁判も始まっていた2015年に私から提示した。私は、世間に拡散していた、私のほうが洋子氏の資産を取りに行っているという噂に辟易していたし、21年間も生活を共にしていた元妻との骨肉の争いにも気持ちが疲れ果てていたから、かなりパフォーマンス的ではあるが、「金なんか要らん!」というアピールのために、「洋子氏は自らの名前で恵まれない子供の施設に3億円を寄付しろ。私は全ての売却益を放棄する」との提案をした。第13部 壊され続ける和解交渉ちょっとおさらいしておくと、1年間にわたり岡本先生の仲介から逃げ回るしかなかった洋子氏も、私から下鴨の土地を買い戻しておかなくては家が売却出来ないので解決を急がなくてはならない事情があった。だから、古賀弁護士の呼びかけには、これ幸いと応じて、なんと、5日後には面談が始まった。私が竹村弁護士との面談で激怒して席を蹴ってから1年2ヶ月ぶりの交渉再開だった。しかし、この時期、もう「童夢と林みのるの最後の夢」を計画通りに実施するには時間がなくなっていたから、計画の多くの部分を切り捨てざるを得なくなっており、予算規模は大幅に小さくなっていたが、妥協を重ね過ぎて計画そのものが価値を失いつつあった。だから私としては、もう計画のために資産を取り戻すというよりは、紛争を穏便に納めようという気持ちが強くなっていたから、かなり妥協的な和解案を提示したつもりだし、解決するものと思っていた。簡単に言うと、洋子氏が奪っている10億円余りの資産のうち、半分強を差し上げるというに等しい大妥協案だったが、即時解決するという私の予想は外れ、洋子氏は強欲極まりない対案を投げつけてきた。その提案では、洋子氏には何の負担もなく何の努力もせず何のリスクを負うこともなく、濡れ手に粟のように10億円弱が転がり込むということになる。
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