ブラジャーVSレーシングカー 2
158/230

132<浅井 敬佑(レース界の旧友)>浅井敬佑氏は、林氏が19歳の時に初めてレーシングカーを作るきっかけになった関西スポーツカー・クラブの矢吹圭造氏のチームに所属していたことから、その後の林氏のレース活動に深く関与していた。「みのるちゃんが19歳の時にレーシングカーを作るきっかけになった出来事から絡んでいますから、長く深い付き合いです。みのるちゃんの若い時は、筋の通らないことには誰が相手でも真っ向から盾を付くから、周囲からは、かなり面倒な奴と思われていましたね。歳を食ってからは夜遊びも盛んになり、それなりに柔軟性も出てきましたが、根の部分のストレートな性格は変わることがありませんでしたから、そこに、嘘をついてまでうまくやるという要素は皆無です。洋子氏との紛争については信じられない出来事ですが、みのるちゃんが嘘をつくことは有り得ませんし、洋子氏の裁判でのあやふやな主張は嘘である事を白状しているようなものですから、答えは明確です」。<鮒子田 寛(レーシング・ドライバー)>林氏とは中学からの同級生で、一緒に鈴鹿サーキットに通っていた。トヨタのワークス・ドライバーからF1、ル・マンまで世界のビッグレースに挑戦してきたレジェンド・ドライバー。後年は童夢の社長に就任していた。「私は15歳からの付き合いだし、中学生の時から、毎日、林の家で工作机に向かってオーディオ・アンプなんかを作っていたし、50代以降は童夢の副社長や社長も引き受けていたから、林の人となりだけではなく童夢の内側も知り尽くしている。当事者として言わせてもらえば、林の言っていることに微塵も間違いはないし、洋子氏の言う「童夢にお金がなかった」とか「株をくれた」とか「土地を買ってあげた」とか「童夢がカフェを経営していた」 などという主張が全て事実無根であることは明白なので、裁判で全て負けたことは信じられない」「童夢の資産は社員の不断の努力で築き上げてきたものなのに、経営の一翼を担ってきた者として、何の貢献もしていない洋子氏が横取りしてしまう現実は大変に不愉快である」。<奥 明栄(東レ・カーボン・マジック社長)>大学生の時に、当時、宝ヶ池にあった童夢に興味を持って覗きに行ったのがきっかけで入社。その後はメキメキと頭角を現し、以来、童夢の技術部門のトップとして童夢の成長の立役

元のページ  ../index.html#158

このブックを見る