COLUMN / ESSAY

「風流舎」誕生秘話



「風流舎」は2000年に建設されましたが、レース界でもいろいろな憶測が飛び交ったように、当時の童夢にとっては身に余る高額な先行投資でしたし、50%ムービングベルト風洞のニーズも読めないような時代でしたから、それこそ、清水の舞台から飛び降りると言うよりは飛行機から飛び出すほどの思いで建設を決意したものでした。
その冒険的な決意の最大の理由は、レーシングカー・コンストラクターとして、どうしても50%ムービングベルト風洞が欲しいと言う悲願がありましたが、もう一つ、当時、F1挑戦を目指す自動車メーカー(以下メーカー)の事情に鑑みて、一肌脱ぎたいと言うか、片棒を担ぎたいと言うか、そんな男気も少なからず持ち合わせていた事も事実です。

2000年当時、第3期F1参戦を発表したメーカーの開発を担当する技術研究所から童夢に、社内にF1用の風洞を建設したいので設計を手伝ってほしいという依頼が来たものの、結局、予算が下りずに断念せざるを得ないという事態に陥ったのですが、それでも、50%ムービングベルト風洞が必要不可欠であることを認識していた技術研究所は諦めきれずに、いろいろと手立てを講じていました。
私も、乗りかかった舟ですから、何とかお役に立てないものかと思案は巡らしていたものの、いかんせん、原資がゼロと言うのですから、まるで無から有を生み出すマジックのような話でしたし、空き工場の室内に安いエッフェル型風洞を設置して疑似ゲッチンゲン型を作るとかいうような奇策妙策ばかり考えていましたが、しかし、いくら考えても肝心の資金が無いのですから話はそこで終わります。
技術研究所も私も万策尽き果てた時に、ふと思いついたのが、メーカーと風洞の使用契約を締結し、それを担保に銀行から借金して、童夢が風洞を建設するという突拍子もない発想でした。
しかし、不動産とか有価証券の担保ならいざしらず、いくらメーカーとの契約と言えども「予約」に過ぎない内容ですから、土台、担保になる訳も有りませんでしたが、たまたま、父の大親友だった方が創業した信金と親しくしていましたし無理を言える関係だったので、ダメもとで相談してみようと思っていました。

メーカーにしても、全く予算が無いのに何とか使える風洞を確保したいと言う無理筋な話に行き詰っていたところでしたし、お互い、これしか手が無いことは解っていましたので、早速、メーカーとして、このような契約を締結できるかを調べ始めました。
しかし、まだ完成もしていない風洞の前もっての使用契約などあり得ないと言う逆風の中、メーカーの担当者諸氏は情熱的に努力を続けていましたし、童夢も、信金との調整に努力を続けていましたが、メーカーの方も難航していて、当初計画の、建設費とほぼ同額の使用契約を締結して担保とすると言う案は徐々に削られて当初予定の約1/3に減額されていましたし、一方の信金の要求も、もっと高額の契約にしろとか前金でもらえとか厳しさを増していましたから、一進一退どころか、ますますギャップが拡がっていくと言う状況でした。

もう時間も無くなってきていたのに、そのギャップは埋まりそうもありませんでしたが、もう、後に引けなくなっていた私は、出来れば避けたい個人保障を入れたり担保提供したりも止むなしかと覚悟を決めて詰めの交渉を急ぎました。
一方、メーカーの方も、具体化に向けていろいろなセクションが絡まってくるにつれて条件が悪化していく傾向にあり、一刻を争うと言う雰囲気に満ちていましたから、童夢からの返事を待ち望んでいると言う状況でした。

そんな矢先、その件で打ち合わせにやって来た信金の役員が唐突に条件の大幅な見直しを提示し、その条件でしか受けられないと言い出しましたが、今更の条件変更は有り得ませんでしたから拒否したところ、それでは受けられないと破談になってしまいました。まあ、担保力不足を原因に話を潰しに来たと言う事ですね。
もう、メーカーとの契約予定まで2週間を切っていた時期でしたし、今まで半年以上もかけて交渉してきた事が2週間でどうなるものではありませんし、他行とは一切の話をしていませんでしたから、もう絶望しかありませんでした。

もともとが無理筋の話でしたから計画が破たんすることは仕方がないところも有りましたが、メーカーの人達は、直接、銀行と借金の交渉もしたことはないでしょうし、お金は出す一方、仕事も出す一方の立場ですから、私が信金との交渉に難航している間も、そんな苦労はあまり理解してもらえずに、いつしか、楽観ムードすら漂い始めていましたし、「まだですか?」と催促されるような雰囲気にもなりつつありました。
そんな時に、どの面さげて計画の破綻を告げに行けばいいのでしょう? 身に余る大胆な仕掛けに賭けた自らの軽はずみな行動を悔やみながらも、メーカーへの報告を一日延ばしにしていましたが、さりとて、打つべき手は何も残されていませんでした。
唯一、有るとすれば他の銀行を当たるということしかありませんが、しょせん、担保となるものは童夢とメーカーが風洞の使用を予約する内容の契約でしかありませんでしたし、それも充分な金額では無かったので、一般論として可能性はゼロでした。

この時の、絶望のどん底で、メーカーに何と報告に行けばいいのかと思い悩んで眠れなかった数日は、今、思い出してもぞっとするほどの悪夢でしたが、ところが、ツキだけで生きてきたような私を天は見放さなかったようで、ちょうどその頃、童夢の本社屋移転の話もちらほらと出かけていた時期でしたし、銀行に土地探しを頼んだりもしていましたから、噂を聞きつけていくつかの銀行が営業に来ていましたが、その中の一行に本件の愚痴をこぼしたところ、「今後のお付き合いの為にも検討させてほしい」と言い出し、何と、数日後に同条件での受け入れを連絡してきました。
まさに、九死に一生を得たと言う感じですが、それまで、メーカーにどのように伝えようかと、日夜、思い悩んでい
た私は、文字通り飛び上がって喜んだものです。もちろん、その日から童夢のメインバンクはその銀行に変わりました。

その後は、何事も無かったように諸手続きはスムーズに進捗しましたし、もう一つの懸案事項であった建設場所に関しても、銀行との合意と息を合わせるように適切な場所が見つかり、急きょ、土地の件も解決しました。

紆余曲折を乗り越え、いくつかの奇跡に助けられながらも、やっと実現にこぎ着けた「風流舎」の建設ですが、しかし、これで万々歳という話ではありませんでした。
ちなみに、風流舎はコスト削減のために出来る限りの部分を内作していますから正確な総建造費は算出しにくいのですが、もともとがF1基準ですから、想像以上の建設費が投入されています。
勢いだけでここまで突っ走ってきましたが、どこからも1円の支援も受けていませんし、総予算を全て銀行からの借入に頼っていますから、当然、返済が発生します。
また、当初の3年間のメーカーとの使用契約は、内容的には使用の予約ですから、使用量に応じて支払われる性格のもので月毎に請求できますが、その総額は建設費用の1/3にも満たない上、童夢は、この3年間は、電気料金やベルト交換などのランニングコストや担当者の人件費などの多大な費用の負担が生じると共に、加えて、長期に亘る銀行への返済が発生しますから、それぞれを計算すると、とてもじゃないが維持できるような数字ではありませんでした。

一難去ってまた一難、EXCELの表に架空の数字を打ち込んでいく作業も虚しいほど、その、出と入りのギャップは大きすぎましたし、時代はまだまだ風洞への関心は薄かったし、全ての童夢の役員は先行きを案じていましたし、建ちあがった「風流舎」の威容には、さすがの私も、えらい事をしでかしてしまったと心穏やかではありませんでした。
どう考えても活路を見出すことは出来なかったので、当初、私は出来たての風洞を叩き売る事まで考えていました。「風流舎」を見て、うちにも欲しいというような話もありましたし、ここで叩き売っておけばケガは軽くて済むと思っていましたし、そうするしか無いと思い悩んでいた頃、さすが、ツキだけで生きてきたような私を天は見放さなかったようで、時代が追いついてきたのか?風流舎が出来たから需要が喚起されたのか?いろいろなクライアントから使用の申し込みが相次ぎ、また、メーカーのF1開発チームも予定を上回る時間を使用してくれたので、昨日までの葛藤はどこ吹く風、正直言って、最盛期には自社のルマンカーの風洞実験なんかにはほとんど使えないような盛況ぶりで、ルマンカーは以前の25%風洞の売却先のを借りて開発していたくらいです。

時折、世間からは、どこかから資金提供を受けて建設したように言われているという噂も聞こえてきますが、このように「風流舎」は、100%自己調達資金で建設していますし、そんな下世話な話はさておいても、「出せる金は一銭も無いが、いつでも使える風洞が欲しい」というメーカーのわがままな希望をかなえた点において、誰も言ってくれませんから自分で言いますが、私は私の仕掛けた大博打は勝負あったと自己評価しています。

その時のメーカーのF1開発担当者であり、このわがままな要求を押し付けてきた張本人とは、それ以来、ずっと仲良くお付き合いが続いていて、毎年、もてぎのGTの最終戦では恒例となった敬老会を催していますが、今年も、当時の思い出話に花を咲かせていました。
しかし、その人も子会社の社長を経て顧問になっているし、私も来年にはリタイアですから、当時の事情を知る人も少なくなってきました。
良い思い出は消えてしまって、根も葉もない噂だけが残るようではたまりませんから、今の内に、私の大冒険の一つである「風流舎」の建設秘話をお披露目しておきますが、まだまだ裏話も有りますので、それは、いずれまた。