COLUMN / ESSAY / LETTER

Sep.06 2012「日本自動車レース工業会 会員の皆様へ 」

本書の主たる目的は、私が日本自動車レース工業会(JMIA)の会長を辞するにあたって、会員の皆様に、私の退任理由の説明および、今までのJMIAの活動内容と成果とこれからの方針をご報告することにあります。
まあ、いかに努力して苦労してきたかを愚痴りたいというか、ご理解いただきたいという主旨もありますが、半面、その徒労を作り出している原因にも思いを至らせていただきたいという願いもあります。

本書は、内容が広範に亘っていますので、全てに眼を通すとなるとかなり根気が必要なほどの文章量となっていますし、また、各提案書や企画書の表記内容がかなり重複していますから読破するのは大変に面倒だと思いますが、ベースとなっている書類はほとんどがJMIAとして制作したものであり、我々JMIAが、読むだけでも大変な企画/提案を山ほど制作して、しかも、各方面に働きかけてそれを具現化しようと努力していたという事実を知っていただきたかったために、あえて簡略化せずに、なるべくオリジナルな内容をお伝えしたいと思っています。
しかし、これでも、機密保持契約の絡むものや重要でない企画/提案や個人レベルのやり取りなどは大幅に割愛していますから、JMIAはレース界の団体としては珍しく活発に活動を続けていることはご理解いただけるものと思います。
ただし、皆様が思っていられるよりも遥かに大きなエネルギーも時間も予算も投入している割には、日本のレース界の人たちの頑迷固陋な頭の構造をほぐすことまではなかなか難しく、ほとんど取り合っていただけていませんし、成果が表れていないのも事実で、それには、私の取ってきた施策や方法論や人となりの問題もあるかと思いますから、その点では、大岩新会長のもと、今後は大いに改善されていくものと期待しています。

では、しばし日本のレース界の異端の世界をさまよってください。

林みのる


「フォーミュラ・ニッポンに関しては、昨秋、その関わりの顛末をダイジェスト的にまとめたコラム「これも日本の自動車レース」の「Formula Nipponの現在、過去、未来(2011/09/13)」を参照してください。
また、このコラムの文中にある、童夢と無限の連名による、日本の技術と産業の発展振興に配慮した国産シャーシの採用を提唱する提案書「POST F3000を考える会」(前出)も興味のある方は参照してください。
また、2009年にJRPに提出した「FNの未来(2009/07/21)」を参照してください。


日本自動車レース工業会の誕生
1963年に開催された「第一回日本グランプリ」あたりをターニングポイントに、日本の自動車レースは、モータリゼーションの発達と相まって、瞬く間に若者たちの心を捉え
てメジャースポーツとして成長していきました。
今の女子アナやタレントのターゲットは野球選手ですが、当時は、レーサーを恋人に持つことが若い女性の憧れでしたし、一般紙がこぞって自動車レースの話題を報じていたものです。
現在も、かなりの規模で自動車レースは開催されているのですが、そのニュースは5大新聞には掲載されませんし地上波TVでもほとんど流されていません。ドライバーが街を歩いてもサインを求められることもなく、専門の定期刊行物も1誌だけとなってしまうほどのマイナーなイベントに凋落してしまいました。

では、自動車レース自体が寂れていったのかというとそうでもなさそうです。諸外国に比
べてもサーキットの数は多そうですし、レースも数多く開催されていますから、どうやら、イベントとしてのそもそもの価値が下落してしまって、世間からの関心が薄れてしまっているようですね。
私はF3000の時代から、このような傾向を予見して警鐘を鳴らし続けてきましたが、私が叫べば叫ぶほどレース界の人たちは現実から目をそらし、私だけが孤立していく不毛な状態が続いてきました。
私は何回も心が折れ挫折して、もうレースから足を洗おうと決意したことも数えきれませ
んが、F3000の時代はチームの地位向上を目指して、JGTCの時代にはレースの価値向上を目指して、そして現在は日本の技術力の向上やプライドの回復を目指して、そのたびに目的意識がレベルアップしていくので、やはり何とかしなくちゃと気を取り直して
飽くことのなき挑戦を繰り返してきたというところです。
そんな頃、ドライバーの育成のみに専心して、開発も生産も忘れた日本の自動車レースの世界で、それなりに、海外に比べても勝るとも劣らない技術力を持ちながらも日陰の身に甘んじてきた日本の技術系企業の人たちから、日本の自動車レースのいく末を危惧する声が高くなってきていましたし、それらの人たちとサーキットのパドックで出会うたびに「このままじゃ日本の自動車レースは崩壊するよね」と嘆きあうのが挨拶代わりとなっていました。
それぞれ、認識の度合いは異なるものの、「ドライバーの育成だけに専心していては日本の自動車レースに将来はない」ということでは一致していましたので、いつしか、みんなで力を合わせて「技術と産業を育成することによって日本の自動車レースの発展振興を図る」という趣旨のもとに、「日本自動車レース工業会(JMIA)」を設立する運びになり、私が初代会長を引き受けることになりました。

日本自動車レース工業会ロゴ
改めて、JMIAの理念に関しては、その言い分をまとめた「日本の自動車レースと技術立国日本の関係[自動車レース工業会の理念と行動指標について](2011/10/13)」を参照してください。相変わらずの内容ですが。


日本自動車レース工業会の足跡 F20からF4へ
JMIAは2008年3月にNPO法人として設立されましたが、「技術と産業を育成することによって日本の自動車レースの発展振興を図る」という設立趣旨を具現化するには、
日本の自動車レースは、あまりにもドライバー育成に特化されすぎていてかなり手遅れ感もあり、何より、この我々の主張に賛同する人たちが極端に少ないために、ちょっとしたアイデアや施策では、どんな種も発芽しないような荒れ野原のように思えたものです。
だからJMIAとしては、即効的な大仕掛けは諦め、底辺からのレーシングカー開発技術の育成からスタートせざるを得ないと考え、専用のキットパーツなどと組み合わせて自由にオリジナリティあふれるレーシングカーを開発できる「F20」のコンセプトを発表するとともに、JMIA会員企業有志が3台のプロトタイプを開発しました。

JMIAの有志企業が協力して開発したF20のプロトタイプ


当初より開発コストを下げるために、多くの部品を既存のJAF-F4コンストラクターのパーツから流用することを考えていましたし、コストと安全面から、F20とJAF-F4とSFJのモノコックを共通のカーボン製にすることも考えていました。
その頃、童夢では、画期的な構造と製法の安価なカーボン・モノコック「UOVA」を開発中であり、ある程度の生産数が確保できれば、従来のアルミ・モノコックを下回る低価格で供給できる目途がついていました。

廉価版モノコック UOVA20

F4用モノコック UOVA4



JMIAとしては、これにより、JAF-F4のコストは変わらないまま安全性が高く耐久性に優れたカーボン・コンポジット・モノコックが導入可能になるし、そのモノコックを既存のJAF-F4コンストラクターなどに卸して販売を任せればその代理店が利益を得られるし、F20などにもJAF-F4の部品を使用するからそれも売れるようになるし、何より、中古車のオンパレードで衰退の一途をたどっているJAF-F4にもカーボン・モノコックの新型車が表れる可能性が高くなるしと、単に、F20やJAF-F4レースの振興だけではなく、関連業界の活性化も視野に入れての全体構想を練っていましたから、JAF-F4の立役者であるJAF-F4コンストラクターの代表者であるK氏もJMIAの理事に招き入れ、F20の主だったパーツはK氏の会社の製品を使うようにするなど、協力してこれらのプロジェクトを推進していこうとしていました。
しかしその後、突然にそのK氏はJMIAを脱退し、一転して執拗にJMIAを批判するようになりましたが、それまで一緒に協議を重ねていたJMIAの理事諸氏もK氏の翻意の真意は理解できず、原因は未だに闇の中です。
レース界では「個人的に林の事が嫌いだったんだ」という結論に落ち着いているようですが、ホント、嫌われていますからねー、そうかもしれません。
そのあたりの事情については(「せめてLobsterに(2010/09/03)」を参照してください。真ん中あたりに事情説明があります)コラムに詳しく説明していますが、もともと、そのK氏の育ててきたJAF-F4に悪影響を与えないためにと気を遣って、別途にF20を立ち上げようとしていた経緯がありますから、なんだか訳のわからないままでしたが、K氏の脱退と造反により、無理矢理F20を立ち上げる必要性も無くなったため、急きょ方針を変更してJAF-F4への参入を決めた次第です。
(「Let‘s F4(2009/10/25)」を参照してください)

これらのJMIAの一連のアクションは、日本の自動車レース界にレーシングカーの開発
と言う要素を導入して、日本の自動車レース・ファンや参加者に技術面からの関心を芽生えさせることにありますから、推進策の一つとして、童夢でUOVAモノコックを採用した新型車を開発/製造し、その型/治具や工業所有権をコンストラクター希望のレーシング・チームに無償提供し、やや強引なやり方ではありますが、新しいコンストラクターを誕生させました。
JMIAのシステムに則り誕生した新型F4「ZAP F108」

JMIAのシステムに則り誕生した新型F4「ZAP F108」


また、それらの部品を部品単位で購入可能にしていますので、現状、4つのチームがオリジナル・マシンを開発してF4レーシングカー・コンストラクターとしての第一歩を踏み出しています。
その結果、徐々にではありますがレースも盛んになり、コンストラクター間の技術開発競
争も活発になってきていますが、しかし、このように童夢が多大な資金を投入してJAF-F4の活性化に努力したり、JMIAでも様々な形で支援を続けているのにかかわらず、JMIA会員企業以外のJAF-F4関連業界からの反発は執拗で、さっぱりと理由も解らないまま、モチベーションはどんどんと低下していきました。
もとより、JAF-F4を活性化させるのに新型JAF-F4を投入しただけではどうにもならないのは自明の理ですから、一般社会に大きくアピールするパブリシティに関してもいろいろな作戦を計画していました。
その計画の一部として、F4レースに箔を付けるために「国土交通大臣賞」を交付されるようにしましたが、何と、その受賞の可能性のあるレジスタンス派のWESTチームが、該当するとしても受賞を断ると言ってきました。
当時の大臣がサーキットまで授与に行ってもいいと言ってくれていましたが、ポディウムに受賞者が不在という無礼な事態も起こり得た訳で、その前に政権が変わってしまったので事なきを得ましたが、その他の稚拙な反発も含め、それらの想像を超えた不実な対応に、私は、不愉快を通り越して嫌悪感すら覚えるようになっていましたので、それまでに計画していた、あらゆるJAF-F4振興策は全て中止しました。
私の感覚としては、無医村に病院を建ててあげようとしたら村の祈祷師に石を投げられたような状況ですが、いやはや、空しい限りです。

基本的にこのプロジェクトは、JAF-F4レースを盛り上げるというよりは、レーシングカーの開発技術の育成を主目的とした参入でしたが、現在、このJMIAのカーボン・モノコックとキットパーツを使ったJAF-F4は、JMIAに加入する、東京R&D、ZAP SPEED、MOONCRAFT、B-MAXの4社から23台が発売され(2012/7/末現在)、その多くがレースに参加中であり、結果的には、それらの反発は抱えながらも、新車の供給が途絶えて瀕死状態であったJAF-F4レースは、JMIA F4の参入により、かなり活気を取り戻しています。

JAF-F4に関しては、業界からだけではなく、専門誌である「AUTOSPORT」からも批判を受けましたが、その論旨は、「中古車ばかりのレースで参加者の負担が少ないから続いてきたのに、新型車を発売するとコストアップして既存の参加者が出場できなくなる」というものでした。
まともな頭でちょっと考えれば解ると思いますが、中古車は新車があってこそ存在するものであり、この論理で行くと、5年落ちの中古車は来年には6年落ちになり再来年には7年落ちになり、やがて朽ち果てる運命にありますから、その時点でJAF-F4は終わる宿命という事ですか? そうなった時、どこからか5年落ちの中古車が出現するのですか? いつかの時点で新車を導入しなければ、いずれは、それらの中古参加者も車両を失って参加できなくなるのは自明の理でしょ? 
「食費を節約したいから、食品メーカーは特価になる期限切れ寸前の商品だけ製造しろ!」と叫んでいる主婦連のおばはんと同じような意見で、これが、日本の唯一の自動車レース専門誌の編集長のご意見なのですから、情けなさを通り越して開いた口が塞がりません。

また、巷間、言われているJMIAの介入によりコストアップになってしまったという批判ですが、JAF-F4にはコストキャップが制定されていますから、スタンダード・モデルは規定価格で販売しなくてはならず、全くの言いがかりにしか過ぎません。
ユーザーが個人でチューナップする費用は特にUOVA車に限った問題ではなく、これも根も葉もない言い掛かりに過ぎません。
ここらあたりから飛んでくる石は石炭がらのようであまり痛くはありませんが、煤まみれになってしまうので大変に不愉快です。

JMIAのコンストラクターからデビューしたF4の新型車両


KIT RACER
また本来、レーシングカーの開発技術の育成や開発支援を主目的としたJMIA F4のコンセプトは、これから自動車レース文化が開花していくであろう東南アジアの技術力を向上させ、産業の発展を促すことに効果的だと考えていますから、当初から、東南アジア
方面への展開を考えていました。
主として東南アジア向けに企画した「KIT RACER」のコンセプトは、モノコックなどの自国で生産することが難しいパーツだけを購入し、その他のパーツに関してはできるだけ自らが製造しながら、徐々にその範囲を広げていき、最終的にはオリジナル・レー
シングカーが造れる環境を構築することにありますが、まだまだ黎明期の東南アジアでは、まだ、いかに安く買うかが最重要課題であり、いろいろ説明しても、最終的には「それで、完成車15台でいくら?」で終わってしまいます。
その間にも、ヨーロッパのコンストラクターによる売り込み合戦は激化していますから、JMIAとしても手をこまねいている訳にもいかず、日本の優秀なレーシングカー開発技術を東南アジアに広くアピールする為に、本年6月9~10日にマレーシァで開催されたスーパーGTの会場でお披露目しました。
準備不足もあり、あまり効果的な展示はできませんでしたが、そのクオリティには高い評価を得ていましたし、オリジナル・レーシングカーへの反応は希薄なものの、スペアパーツを自給自足できるという提案には大いに興味を示していましたから、これからの迅速な展開が可能となれば、ヨーロッパのコンストラクター達の提案とは一線を画した協力関係を構築していくことは可能だと期待しています。
JAF-F4ベースのレースが東南アジアの全域で開催されて、各国で開発されたJAF-F4が覇を競うなんてシーンは想像しただけでも楽しくなりますね。このアイデアは、後程の「FORMULA ORIENT 3」で説明します。
ただし、現状、この迅速な対応を実施するための原資もありませんから、未だスタートもままならない状況ですが。
(「KIT RACER(2010/5)」を参照してください)

2012年6月 マレーシアのSGTCにてF4の展示説明会を開催



安全性の追求
JMIAの最大の目的は日本の自動車レース産業と技術の向上による日本の自動車レースの発展振興ですが、もうひとつ、重要なテーマを抱えています。
それは、安全性についてですが、レーシング・コースの設備面やレース・レギュレーションの整備や救急体制などの様々な課題があるものの、JMIAとしては、レーシングカーそのものの安全性に特化して安全性の向上に向けて努力を続けてきました。
前述したFIA-F4へのカーボン・モノコックの採用も安全性の見地から避けて通れない課題でしたが、関連各位からは、JMIAのカーボン・モノコックは当たったら粉々になって危ないとか、FIAのクラッシュ・テストをパスしていないから危ないとか、お門違いな批判が飛び交っています。
しかし、今更、カーボン・モノコックとアルミ・モノコックの安全性を比較するのもナンセンスですし、どのFIA-F4もFIAのクラッシュ・テストをパスしていませんし、それ以前に、アルミ・モノコックは現在のFIAのクラッシュ・テストには適合しません、つまり、テストにならないほど弱くて受け付けてももらえないでしょう。
ちょっと考えられない異次元のたわ言が実しやかに通用している秘境ですが、これらのたわ言が通用しているのは、たまたま悲惨な事故が起こっていない幸運によるものです。

JMIAでは、事あるごとに安全性の向上を訴えてきていますが、基本的に、安全性の面からフォーミュラ・スタイルのレーシングカーそのものにも警告を発しています。
以下は、FCJの国産化を提案する企画書の一部ですが、フォーミュラ・チャレンジ。ジャパン(FCJ)への提案でフォーミュラを否定しているのですから、土台、見向きもされません。

JMIAでは当初より、入門用フォーミュラには最大限の安全性を提案していました。



FCJ
JMIA設立以前の2005年頃から、童夢はHONDAを通して国産シャーシによる現在のFCJのようなレースの提案をしてきましたが、この提案は葬り去られたものの、それをきっかけとして、2006年、日本レースプロモーション(JRP)によって外国製シャーシ(フォーミュラ・ルノー)を使ったFCJが誕生しました。(「フォーミュラ・ドラゴンの最後(2005/08/03)」を参照してください)
その後に設立されたJMIAからは、2009年に予定されている車両の入れ替えに向けて、改めてレース用車両の国産化と安全性の向上を提案しました。(「FCJ NEXT STAGE(2008/06)」を参照してください)

結果的には、予算不足を理由にフォーミュラ・ルノーの継続使用が決定し現在に至っていますが、フォーミュラ・ルノーも7年目を迎えており、UOVA以外の通常のハニカム型モノコックが、そうそういつまでも使えるものでもありませんから、再度、国産化の提案をしようと打診してみたところ、予算不足で新車の導入どころかレースの維持にも困っている状況との事でしたから、それならばと、JMIAからは、FCJをJAF-F4レースに混入させるアイデアを2回にわたり提案しましたが、回答はいただけませんでした。(「FCJ NEXT STAGE 2(2010/10/19)」及び、ほとんど同じ内容ですが、「FCJ NEXT STAGE 3(2011/05/09)」を参照してください)
まあ、衰退しきって消え入りそうな2つのカテゴリーをまとめて共存させようという安易な提案ですが、そこはそれ、いろいろ事情があるようで、JRP内では検討が去れたようですが、現状、確たる回答は頂いていません。


「UOVA」モノコック
これらのプロジェクトを支えているのが、アルミ・モノコックと同等の価格帯で販売できる画期的な構造と製法のカーボン・モノコック「UOVA」です。
モールドにCFRPを巻きつけるシンプルな製法による工数費の削減と、ハニカムを使わないソリッド構造による副材料の削減による大幅なコストダウンを実現、そのため、ハニカムの座屈や接着強度の低下などの性能劣化と無縁なので、従来品とは比較にならない耐久性が期待できる夢のカーボン・モノコックです。
ただし、同じ剛性の場合、ハニカム構造のモノコックよりは少し重くなりますが、ワンメイクの場合は全く問題にならないレベルで入門用フォーミュラなどに最適です。
私は、これからのレーシングカーやスポーツカーのシャシーとしては大きな可能性を秘めた製品だと思っていますので、現在、この製法を拡大発展させて2シーターのスポーツカー用モノコックなどの開発などを計画しており、今後、ますます対象車種を拡大していく予定です。
(「WHAT‘S UOVA」(2009/12)を参照してください)


JAPAN LEMANS
JMIAでは、スーパーGTのますますの隆盛を願っていますし、そのために技術面での協力を実施しています。しかし、何物にも栄枯盛衰はありスーパーGTも未来永劫という訳ではありませんから、現状、日本のレース界のスーパーGTへの高すぎる依存度から鑑みても、このままでは、スーパーGTこけたら皆こけるという危険な状況です。
だから、何年も前からGTAに対しては、何らかの布石を打っておくべきだと提言を続けてきましたし、それにはJAPAN LEMANSしかないと考えていますが、何しろ、足元しか見ていない日本のレース界の人たちには全く関心のない話のようで、2007年に、あのACOが、ルマンのアジア・シリーズの開催を目指して非常に有利な条件で日本での開催をお願いに来るという千載一遇のチャンスがあったにもかかわらず、日本の自動
車メーカーやサーキット等の関係者は、けんもほろろの対応でチャンスを逸してしまいました。
相手からお願いに来ているこのチャンスを活かしたいと、ACOからの協力依頼に応じて、JMIAの理事も各方面への橋渡しに努力しましたが徒労に終わり残念です。
要旨は、2008/06に、当時のACOの会長であるJean-Claude PLASSART氏に提出した提案書「JLMSの復活について(2008/6)」を参照してください。

今、日本のレース界が成すべきことは、積極的にJAPAN LEMANSの誘致に動き、現在、ACOが考えている中国中心の構成を日本中心に改めさせることです。
なぜACOが中国をこれほど重要視しているのか解りませんが、何のインフラも無い中国に、年間、何戦も遠征に行くのは不自然ですから、ぜひ、日本での2~3戦を中心に東南アジアで計5~6戦として展開するように努力すべきだと思っていますが、時間だけが過ぎ去っています。


GTA/SGTC
そもそものGTAとの関わりは、2005年に先代のGTAに運営上の問題が露呈し始めた頃、裏の方で非常に危うい話がいろいろ飛び交っており、中には看過しかねるような重要な問題も含まれていたために、私は関係する各自動車メーカーの担当者などを集めてGTAの調査を依頼しました。
しかし、これらの自動車メーカー系のSGTCに深く関わっている担当者諸氏は、お座なりの調査の結果「問題なし」と結論付けたのでそのまま放置されてしまい、ほぼ2年後には破綻のやむなきに至りましたが、GTAが多額の借金を抱えていたこともあり誰一人として再生に手を挙げる人は現れませんでした。
本当にGTAが破たんしてしまうと、ほとんどをSGTCに依存している日本のレース界は壊滅的打撃を受けるであろうに、誰もが座して死を待つようなこの状況にイライラが募っていた頃、やっと、その先行きを案じた舘と坂東からGTAの改革の参謀役を依頼されたので引き受けることになりました。
もうかなり、日本の自動車レースに絶望して諦めかけていた頃でしたが、日本で唯一、集客力を持つSGTCをテコにしたら、他の部分においても、少しは改革が進むのではないかとの期待から引き受けたものの、とっても不可解な展開の結果、幕開けとともに幕引きとなってしまいました。
舘を会長に旧GTAにあたる新組織を創立してGTレースの安定的な継続を図るという主旨でレース界のお歴々に集まっていただき、キックオフ・ミーティングを開催するところまで漕ぎ着けた時点で、舘は会長就任をぐずり、坂東は自分がトップに就いて独自にGTAを運営していくと言い出したので、あまりの支離滅裂な展開に、私はその場で全ての中止を宣言して幕を引きました。
しかし、この間に舘と坂東の間で何があったのか未だに謎ですが、私たちの声掛けに集まっていただいたレース界のお歴々には、不明朗な茶番劇をお見せしてしまい大変に申し訳ないと思っています。
詳しい顛末については「革命軍の自壊2007/09/03)」を参照してください。

しかし、新生坂東GTAは、大方の心配をよそに、それなりにスムーズにレースを継続することに成功していましたし、坂東は思ったより熱心に前向きに取り組んでいましたから、日本の自動車レースの発展と振興を目指すJMIAとしては、それまでの経緯は水に流しても、その坂東の後押しをすべきと判断し、2008年、御殿場のTOM’Sに坂東を呼び出して協力関係の構築を提案しました。
そもそも、ここがJMIAとGTAの係わりの端緒となりますが、その時、既に「マザー・シャーシ」の提案を始めています。(「MOTHER CHASSIS for GT300(2008/12)」、「MOTHER CHASSIS for GT300 2(2010/04/29)」を参照してください)
しかしそれ以来、SGTCの運営はそれなりに安定してきたものの、やはり、技術面でのスキル不足や確たるビジョンを持たない迷走状態が目立つようになってきていたので、事あるごとに、かなり重要な提案を繰り返してきましたが、長きに亘り、坂東の聞く耳は持つが行動の伴わない隔靴掻痒な対応が続くことになり、現実問題としては何も実現されないまま、ずるずると時間だけが過ぎていきました。
その頃の提言をまとめてGTAにぶつけたのが「GTAへのちょっと耳の痛い提案(2009/05/12)」です。

当時はまだ、SGTCへのFIA GT-3やDTMの進出が取りざたされていない時期でしたが、これらはGT300の車両不足やGT500の高コストが原因ですから、その両方に問題提起しているこれらの提言は的を射たものと自負していますし、それらの対応の遅れが、現在のFIA-GT3の寡占状態を招き、DTMに母屋を取られそうな状況を作ってきたと思っています。

それにしても、まるで水あめのプールで泳いでいるような、努力の割には抵抗が大きく進まない状況が続いていましたが、基本的な問題点として、その組織/ブレーンの脆弱さや偏った人選を起因とする保守/保身のための排他的な対応が原因と思えるようになってきていましたから、その頃は、人心一新から考えないと、GTAに現状維持はできても発展振興に向けての積極的な対応は望むべくも無いと思えるようになっていました。
そこで、JMIAはGTAに対して、両者がSGTCの発展振興を目的とした正式な協力関係を締結すること、また、鮒子田を坂東のサポート役として雇用または契約することを求めましたが、坂東は基本合意しながらも実現には至らず、またもや、ずるずると時間だけが過ぎて行きました。

鮒子田は旧友ではありますが、そんなことは関係なく、今の日本に、これだけ海外で活躍して、語学も堪能で、海外でのレース人脈にも厚く、トップクラスのレーサー/コンストラクター両面の実績をもつ逸材は、そうそう居ないのに、まあ、組織のトップにとって能力のある人は自らを脅かす両刃の剣に思えるのか、そのスキルを活用しようとしない日本のレース界を、かねがね不思議だと思っていました。
折しも、DTMや東南アジアとのさまざまな交渉が始まっていた時期でもありますから、JMIAとして、技術面でのJMIAとの協力契約と鮒子田の受け入れを何度もGTAに対して推挙しましたが、なかなか具体化しない状況が続いたため、JMIAとしてはやむなく、GTAが鮒子田の加入を躊躇する表向きの原因としていた費用の問題に関して、JMIAが顧問として契約してJMIAから無償で派遣するという形を提案したところ、受け入れざるを得なくなったということか、やっと鮒子田がオブザーバーという形ながら参入が認められ、そして今年になって、GTAが直接に契約するところまで漕ぎ着けました。

また、JMIAとGTA間の技術面での協力関係も、GTAが必要とするときだけJMIAが手伝うというはなはだ一方的な内容ながら、2011/02/05に正式に協力関係の締結を発表するに至りました。(「GTアソシエイション、日本自動車レース工業会との技術面での協力関係を強化(2011/02/05)」を参照してください)

しかし、その間にも、かねてより危惧していたSGTCへのFIA-GT3やDTMの日本のレースへの進出が具体化してきて国内レース産業の危急存亡の秋となってきましたが、心配した通り、時間の経過とともに、いつしかFIA-GT3やDTMも既成事実化が進み、いつの間にか、排除から制限になり、いつしか熱烈歓迎になってしまいました。
このままではSGTCもFNと同じく外車のオンパレードとなり日本の技術と産業は崩壊し、しいては日本の自動車レースも廃れていくことになるのは必至ですから、絶対にブレーキをかけなくてはならないと考えていましたが、これらの売国的施策を熱心に進めている中心人物が、日本の自動車レースを資金的に支える自動車メーカーのリーマン担当者諸氏ですから、飼い犬が飼い主に噛みついているような話で、もとより、空しい戦いです。

ここでちょっと、FIA-GT3やDTMの問題に触れておきますが、GT3は自動車メーカーが製作し製作側以外は触れてはならないレギュレーションとなっており、現状、ほとんどが外国製ですから、すなわち、GT3が増えれば増えるほど、メンテナンス・ガレージやメカニックなど日本のレース産業界の仕事が失われていく仕組みとなっていますし、DTMに至っては、ヨーロッパのローカル・ルールを丸呑みするような話であり、相手先の要求を丸呑みすれば、現在、GT500の開発に従事している企業は壊滅的なダメージを受けることになるでしょう。
つまり、FNとFCJが外国製シャーシを購入し、F3が外国製シャーシで戦われ、SGTCがGT3やDTMばかりになってしまった暁には、日本の一切の技術要素も産業構造も排除されるということです。

しかし、これらの危機が大きく伝えられることも無く、自動車メーカーの人たちを中心に多くの日本人が推進しているというのですから、なんか、全国民が原発稼働を叫んでいるところで独り自分だけが全廃を訴えているような違和感を禁じ得ませんが、それでも、これらの軽挙妄動は着々と実現に向かって加速を続けています。

GTAと日本の自動車レースの改革について話し始めてから、早や4年あまりの歳月が流れてゆきました。そろそろ決着を付けるべき時期だと思いましたので、それまでの提言の総集編として「日本の自動車レースの夢を語ろう(2011/10/21)」をGTAに提出しましたが、それでも何も変わる気配が感じられなかったので、期限付きの質問状を出して無視されたり、話し合いの場を設けてドタキャンされたり、最後通牒に対する回答もおざなりのものであったために、最後通牒の意味通り、私としては、GTAの現行体制には見切りをつけて、全く異なった角度から日本の自動車レースの改革を図ることを決意しました。

ところが、JMIAもかなり老化が進んでいますので、最早、いろいろ達観の域に達した穏健長老派も多く、また、坂東と接触の機会の多くなった鮒子田からも、いろいろ問題はあるものの、坂東自身の考え方は前向きでまともだから、坂東の問題というよりはGTA内の周辺環境の問題と言えるので、もう少し坂東をバックアップすべきとの意見もあったりして、JMIAとしては、ここまで来てGTAをぶった切るのは得策ではないとの意見が大勢を占めるようになっていました。
しかし、私自身としては、もう4年間の努力で充分だと完全に気持ちを切り替えていましたから、ここで初めてJMIA内の意見が分かれることになりました。
JMIAの会長としては多数決で意見を集約すべき立場ではありますが、私は気持ちに沿わないことに我慢して協調できるようなタイプではないので、GTAの問題は副会長の大岩さんにお任せするとして、JMIAとしてはもう少し協力関係を継続するが、私個人としては関与しないという変則的な二重構造でしばらく対処することになりました。


さて、改めて日本の自動車レースを見直してみてください。
私が生涯をすごしてきたレース界で思うことは、現状に対する評価の違いです。自動車メーカーの庇護下の日本のレース界では、メーカー系の仕事にありつくことが、言わば、すごろくでいえば上がりであり、上がってしまえば、そこには、非常に安定的でそこそこの生活レベルを維持できるぬるま湯が用意されています。
レース界で、GTやFNのチームオーナーやメンテナンス・ガレージを経営している人たちは、誰も軽四輪には乗っていませんしアパートにも住んでいません。みなさん、不満のない生活を送っていますから、ここから脱落するのは嫌だけれど、ここから脱出してより以上の栄光を目指そうという人もいません。
そのレース界の人達が得ている収入のほとんどを供給している自動車メーカーから下賜される資金量は非常に安定していますから、詰まるところ、日本の自動車レースの規模はその資金量で決まる訳で、メジャーもマイナーも自動車メーカーが決めているにすぎません。

そのような依存体質も問題ですが、長年に亘る妾生活から突然に自立できる訳もありませんから、それはそれとして、第一段階として、その限られた資金を無為に海外に流出させずに国内に向けたとしたら、その資金は国内産業に流れ産業を発展させ技術力の向上を促
し、また、その企業から関連企業に流れて国内のレース業界を還流しますから、徐々に資金の総量は増大し業界の生産規模は拡大していくことになるでしょう。
それにしても、穿った見方をすれば、この自動車メーカーからの資金を日本の技術と産業の発展にも寄与するような有効な使い方をしたとしたら、それによって産業界の力が強くなって自動車メーカーの思惑どおりに扱えなくなることを危惧して、戦略的にドライバーの育成に偏重しているのではないかと言う妄想さえ頭をかすめるくらい、自動車メーカーの担当諸氏の頭の中はドライバー中心&拝外主義一辺倒です。

しかし、少なくとも私は現状に満足していませんし、我が国において、自動車レースがもっとまともに機能していれば、この技術立国と言われた環境の中で、もっともっと異なった発展をしていたであろうことは想像に難くありません。
レース関係者も、会えば「もっとメジャーに」という話になりますが、たぶん、彼らのメジャーとは、今の50万円の月給が60万円になれば家のローンが楽になるというレベルの話であり、私の不満は、本来は1000万円の収入があるはずなのに、何で50万円だ!という話であり、同床異夢といえます。
そうしてスポイルされきった現在の日本のレース界には、本来は特需とも言える開花期を迎えつつある東南アジアのレース界に売るべきレーシングカーもパーツもありませんし、ではレースの運営ノウハウかと言うと、そのレギュレーションも車両も全てをヨーロッパから導入している日本のレース界に東南アジアに売れるノウハウは何もありません。
日本のレース界がヨーロッパに憧れている以上、彼らも憧れのヨーロッパから、直接、導入するのは当然でしょう。
このように、何も売れるものがありません。つまり日本の自動車レースは無価値だということです。

はるかに先行していたはずの日本、数十年前にF1で優勝している日本、TOYOTA  7やNISSAN R380など傑作レーシングカーを生み出していた日本、HONDAの通った後にはペンペン草も生えないとやっかまれた日本はどこへ行ってしまったのでしょうね?
日本の1000兆円にもなんなんとする借金にも原因もあれば責任者もいれば、福島の原発事故にも原因もあれば責任者もいます。当然、日本の自動車レースの価値をここまで貶めた現実にも原因もあれば責任者もいます。
こんな現状が正しいのですか?正しいのなら原因も責任者もいませんが、正しくないと思うのなら、その原因を追究し責任者を明らかにして反省の糧にしなければ、どの問題もいつまでもうやむやなまま解決される時は来ないでしょう。正しいのですか?間違っていたのですか?


過渡期を迎えたJMIAのこれから
夢を語っている間はみんなで同じ夢を見ていられますが、それがちょっと具現化してくると、たちまち思惑も利害も絡んできて、少しずつそれぞれの思いに温度差が生じてくるなんてことはよくある話です。
JMIAの中でも、ここのところ、やや、考え方と言うよりは方法論とか戦略面での意見にギャップが感じられるようになっているような気がしますが、そのギャップの対極は、ほぼ私一人と他の全員ですから、多勢に無勢、組織の長としては大勢の意見に従うべきだと思っていますし、このJMIAという組織は、このレース界の中でも特例と言えるほど長続きしており、毎月一回の理事会においても、毎回、8名の理事がほぼ欠席することも無く出席して、毎回、長時間に亘って熱く意見を交わしあっているという珍しい組織です。
その話し合われる内容も、工業会への我田引水のような下世話な話ではなく、日本の自動車レースそのものを発展振興させない限り、私利私欲も我田引水もない、つまり、小さなパイの取り分け方より、もっと大きなパイを焼いてからたらふく食おうという発想が徹底されていますから、会議はいつも、かなりダイナミズムにあふれた内容となっています。
ただし、前述したように、JMIAの理事の間にも、やや意見の偏りが見られるようになってきていますが、かと言って、目指す方向が違うという話でもありませんから、現状では、それを無理やり一本化するのではなく、おのおのの案件にそれぞれの担当者を設けて、みんなでそれをバックアップするという戦略で具体的な成果を求めていこうということにしています。
ちなみに、FNに関しては由良が担当していましたがダラーラに決まり終了、GTAに関しては大岩さん、F4/FCJに関しては山口さんが担当しています。

ただし、前述したように、全ての案件に関して異なる意見を持つ私としては、論議を重ねるという事は、すなわち、皆様の足を引っ張る事になるだけですから、これ以上、皆様の活動の邪魔とならないように、今後は、会長を辞して、一理事として大岩会長を支えていきたいと考えています。


今後の課題は原資です
このように、ポリシーは変わりませんがトップの交代する新生JMIAの最大の課題は資金です。
今までは、不足する資金のほとんどを、さまざまな形で童夢が負担してきましたが、一理事の立場となるこれからは、それでは単なる谷町のお大尽みたいなものですから、今後は節度を持って対処していきたいと考えています。
まあ、いつまでも個人レベルのわずかな資金に頼っている訳にもいきませんから、そろそろ真剣に、ドライバーの育成にしか金を出さない自動車メーカーの資金を、技術と産業の育成振興にも振り向けるように、流れを変えていく必要があるでしょうね。


さて、私(林)はこれからどうするのでしょうか?
そろそろ国内に居場所も無くなってきた私(林)は何をするんだ?ということですが、私が今、たまらなく悔しい思いをしている東南アジアでの自動車レースの盛り上がりを、指をくわえて見ているだけの現状を少しでも打破するために、遅まきながらも、東南アジア・マーケットへの進出を推し進めたいと思っています。
また、童夢-零から始まった童夢のスポーツカーの夢の最後の仕上げとして、ロードゴーイング・スポーツカーを開発する「ORIENTAL GT PROJECT」を、東南アジアを中心に展開したいと考えています。
以下は、現在、計画中の東南アジアを中心とした新しいプロジェクトの概要ですが、まだまだ企画中の案件につき、現状では暫定案です。


「ORIENTAL GT PROJECT」
これは、マザー・シャーシという概念から発展した構想で、前述のように、いつまでも何も決まらないGTAとの話には終止符を打ち、独自のプロジェクトとして再構築を試みていますが、JMIAには、この計画を実施できるだけの資金はないので、童夢の単独のプロジェクトとして計画を進めています。
かと言って、童夢にお金があふれている訳ではないうえに、2012年は、何を思ったか100%自費でルマンに挑戦していますから、もう、逆さに振っても鼻血も出ませんので、現在、これらの資金のねん出方法に関してはとても特殊な方法を考えており、この成否によって実施できるかどうかが決まります。

主旨を簡単に説明すると、童夢がレーシングカーにもロードカーにも使えるシャーシを開発して、例えばマレーシァの少量生産メーカーで製造します。
そのシャーシはレーシングカーのマザー・シャーシとして日本等に輸出するとともに、そのメーカーでスポーツカーのボディを架装して、ロードカーとしてマレーシァや日本で発売するという訳です。

まあ、そんな感じの浮ついた話ですが、私はもう、遠い将来のことには関心がありませんから、レーシングカーへの転用も考慮しつつも、私としては、私自身がデザインしたスポーツカーで街を走るという、まだ成し得ていない最後の夢の成就だけをめざし、それを最後の作品とする予定です。

とりあえず、まだまだ絵空事であり絵に描いた餅にしか過ぎませんが、ちょっと私の妄想にお付き合い下さい。(「ORIENTAL GT PROJECT(2012/04/10」を参照してください)

レーシングカー/ロードカー共通のベース・シャーシのアイデア・スケッチです



FORMULA ORIENT 3
また、急激に進展する東南アジアのレース事情として、多くのレース関係者が入門用フォーミュラのレースの立ち上げを計画しており、玉石混交ではありますが、どこに行ってもその話題で持ちきりです。
立派なサーキットもあり主催団体もありますから、基本的なネックは車両の導入コストにあるようです。少し乱暴な手法かもしれませんが、F4各15台くらいを3つのサーキットに半額くらいで供給し、「FORMULA ORIENT 3(私が勝手に名づけた仮称。4は中国では縁起が悪くレースには使えないとのこと)」を立ち上げさせ、日本のF4も同じ名称で同じシリーズとして、チームの交流やアジア・チャンピオン決定戦などを企画すれば、このレースがアジア全域をカバーする基幹レースとして定着する可能性は大です。
ちなみに、当初に必要な予算は数億円ほどですし、「FORMULA ORIENT 自動車メーカー名 CUP」などとして展開するとしても、たいした費用は掛からないでしょうから、そこらここらで言いふらして、興味を示す自動車メーカーなどに期待していますが、ドライバーの育成ではないので実現は難しいでしょうね。
東南アジアの広範囲に日本の自動車メーカーの影響力を展開し、これからの日本の産業を活性化するための予算としては微々たるものだと思うのですが。
これに関しても、特別な資金のねん出方法を考えており、この成否によって実施できるかどうかが決まります。

まだ、F4のカラーリングだけを変えた状態のデモカーです。



おまけ→ドライバーOBの始末
いままでに述べた日本の自動車レースの発展振興を阻止してきた多くの原因を作ってきたのは、ドライバーOBの浅知恵と勝負を避けたい自動車メーカーのサラリーマン根性に尽きます。
シートを失ったドライバーが口をそろえて言い出すのは「若手ドライバーの育成」とか「若者に夢を」とかの、いかにも社会貢献的なフレーズですが、要するに、ドライバーの頭で考えられるリタイア後の働き口はそれしかないという事であり、また、勝敗と責任のない育成プログラムはサラリーマンの好むところではありますから、日本では、この手の話はまとまりやすく、いつの間にかそればっかりになってしまったのが現状です。

一方、日本の免許交付のシステムは伏魔殿で、もともとが警察の最大の天下り先だったことからも解るように、もとよりまともな世界ではありません。
試験場も教習所も疑問だらけの不条理に満ち溢れていますが、取得してしまえば二度と来ることのない一過性の出来事ですから、みんな、そんなものだと我慢してやり過ごしているだけです。
それはそれとして、問題はその教習内容です。全行程において、フルブレーキングを体験することも無く、路地から子供が飛び出したらどのくらいで止まれるのかも知らず、ぶつかった時の衝撃も知らず、雪道でのスリップの体験もありません。
車庫入れも並列駐車も当たったら弁償すれば済む話だけれど、人身事故となったらそんな問題では済みません。
昔、MT車の多かった時代にペダルを踏み間違わないようにと右足でアクセルもブレーキも踏むように教える事になりました。しかし、現在はAT車の割合は89%を超えています。
また、AT限定という免許制度が出来ているのにかかわらず、未だに右足ブレーキを教えています。
こんなおざなりな教習方法でドライバーを路上にまき散らしているのは、考え方を変えれば、世の中の交通事故を誘発している未必の故意といっても過言ではないようなお粗末さです。
そこで、教習課程の上級クラスとして、ドライバーOBによる運転テクニックの伝授というコースはいかがでしょう?
ダミーの子供やバルーンの車の飛び出し機能付きの路地や、飛行機のように助手席でも操縦可能な教習車とか、スケートリンクのようにアイスバーンを作るとか、安全にぶつかり合う事が出来る教習車による鬼ごっことか、いろいろな教習アイテムのアイデアも尽きません。
一応の運転技術を習得した段階からドライバーOBが教員となり、交通安全は、ゆっくりと走っているだけでは不十分で、いかに高度な運転技術が必要かを教えるのです。
これぞ、社会貢献と言うものです。

さいごに
私が今回、こうして長々と書き連ねて言いたかったことは、我々JMIAは、これほど努力を続けてきたんですよ!それに対して、日本のレース界はこのような対応をしてきたのですよ!という心の叫びを会員の皆様に解る形でお知らせしたかったからですが、さて、何が日本の自動車レースの発展を妨げてきたのかご理解いただけましたでしょうか?
現在、JMIAや童夢は、会員企業の協力のもとに開発したF4をベースとした「KIT RACER」や、童夢のタイ工場を活用した「ORIENTAL GT PROJECT」などの東南アジアのマーケットへの足掛かりとなる可能性を持っていますが、もしこれらの商品や計画がなかったとしたら、本当に指をくわえて見ているだけになってしまったで
しょう。

それでは、長々と私の愚痴にお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
もう私は、今までのように、匙を投げたとか諦めたとか精根尽きたというような心境ではなく、最早、係るのも嫌という気持ちで吹っ切れてしまいましたから、これからの日本の自動車レース界は、目の上のタンコブが取れたような、悪性腫瘍が消えてしまったような、そんな清々しい気分で心機一転、今まで、私への反発から萎縮していた技術力の強化や産業の振興などへのエネルギーが一気に爆発して、我も我もとレーシングカーの開発を言い出すかもしれませんし、何かが変わるきっかけになるかもしれないと期待しています。
その結果、雨後の竹の子のようにコンストラクターが林立して、長年に亘って、私が夢に見ていたようなパラダイスが出現したら、ある月夜の夜に、「thriller」をBGMにゾンビが復活してくるかもしれませんので、その節は、お祓いだけはお忘れなく。

もうお腹がいっぱいとゲップされていると思いますが、ここまで読み進めていただいた奇特な方には、ぜひ、TOYOTAが主宰する「GAZOO RACING」で私が執筆したコラム「クルマとモータースポーツの明日 」も参照してください。「クルマとモータースポーツの明日(2009/04/04)」童夢サイトのCOLUMNに掲載。
豊田 章男社長が眼を通すことを前提に日頃の思いのたけをぶちまけていますが、未だにお叱りのメールは届いていません。

林みのる