COLUMN / ESSAY / LETTER

Nov.30 2013「Aloha from Hawaii」

突然、言い訳から始まりますが、二十歳代の1回目の離婚は、まだ青かった私の未熟さが原因だったから今でも申し訳なかったと思っていますし、2回目は社員と駆け落ちされましたし、3回目は牙をむいて金を盗りに来ているのですから、客観的に考えても、一方的に私が悪いという話では無いと思っています。
2012年の末に元嫁の署名捺印のある離婚届を突きつけられてからの元嫁による私の資産の収奪劇は想像を絶する有り得ない展開となっていましたし、その為に叩き潰されそうになっている私の最後の夢も風前の灯となりつつある絶望感に気も狂いそうな日々を送っていた頃の唯一の救いが、時々、別居中の小さなマンションを訪ねてきては食事を共にする睦美(当時、私66、睦美36)の存在でした。
当時の睦美は、何故かモテモテだった私の数多いガールフレンドの1人に過ぎませんでしたが、この辺りの私の言い分を説明し始めると、また、膨大な文字数を費やしてしまうので割愛します。
それはさておき、よく、風邪で高熱を出して寝込んでいる時に、かいがいしく介抱してくれた女性と結婚してしまうというバターンがありますが、私の場合、正にその典型のように、当時、陸の孤島でハリケーンに襲われているような私にとっては、唯一の安らぎになっていましたし、いつしか、離したくない存在になっていました。
まあ、かなり私が病んだ状態での藁をもすがる気持ちも否定はしませんが、それだけでは無く、高校卒業後は自力で大学に進学し奨学金を得てアメリカの大学に留学して音楽療法を学び、アメリカでインターンをこなしてから京大医学部の研究室に所属して博士号を取得するなど、強い意思をもって一筋に突き進むタイプの人であり大変な努力家でしたから、女性としてより以前に人として認めていた事も確かです。

しかし、もう結婚はこりごりだと思っていた私は、二度と、いや四度と結婚する気はなかったので、睦美には、その旨を告げていましたし睦美も了承しての付き合いでしたが、そのちょっと前に、25年前に妻を残して家を出た資産家の親友が、やっと伴侶を見つけて暮らし始めた時に癌が見つかり、その女性は、それからの5年間、付きっきりで看病に明け暮れた後、その親友が無くなったと同時に30年以上も現れなかった妻が病院に現れ、その女性は追い出され、葬儀では一般の弔問者に混じってお参りするしかありませんでしたし、一瞬に何もかもを失うことになってしまいました。親友が、きっちりと離婚/再婚をせずに放っておいた結果です。
また、睦美と内縁関係のままだと、私が死んだ時に全ての財産が元嫁にへばりついている元の息子に渡ることになってしまいますから、結婚と言うシステム自体には大いに疑問を持ちながらも、法律面での妻でないという立場の弱さとリスクを思い知らされましたので、ある日、「結婚にするか?」「はい」という運びになった次第です。


後日談になりますが、これほど元嫁に痛い目に会わせられながら、又、全く同じ相続対策を進めています。つまり、睦美とも別れることになり、その時、睦美が、洋子と同じように「私の名義だから私の物」と言い出し、今回のように裁判で負けたら、私は、また全てを取られてしまう事になる訳ですが、死んだ後の家族の事を思いやっての振る舞いを我欲の為に私物化する人が居るのですから、この世は地獄です。

しかし、4回目ともなると国内で結婚式を挙げるのも気が引けますし、どこまでの人を招待するかも悩ましいところです。下手したら私の結婚式に4回も参列する人も出てきますから、考えれば考えるほど億劫になってきて、最終的に、友達がHawaiiにオープンさせた結婚式場に、極、親しい人だけを招待して挙式することにしました。
老人の結婚式にHawaiiまで呼び立てるのは失礼なので、現地の旅行会社に依頼して4泊5日の完全パックツアーを仕立てて、ごく一部の大金持ちを除くほとんど全員をご招待したのですが、直前になって、予約していた結婚式場のオーナーから電話があり、曰く「ワコールさんにも使ってもらっているので大っぴらにしないでほしい」と言われ、ブチ切れて電話を切りました。
それから慌てて、八方手を尽くしてHalekulaniのHau Terrace Lanaiの結婚式場を確保し、無事、約30名のご来臨を賜りましたが、 直前に、やむなき事情で3組のドタキャンが出ました。ところが、この3組の全てが過去3回の私の結婚式に出席してくれた人たちでしたから、つまり、4回すべての結婚式をコンプリートするはずだった人は途絶えてしまった訳です。
全出席を表彰する余興を仕込んでいたので残念でしたが、まあ、過去を断ち切れと言う暗示だと解釈して、睦美と二人で新たなる気持ちでの出発を目指したいと思っています。