COLUMN / ESSAY / LETTER

2021 HAPPY NEW YEAR

昨年は、コロナ時代の隠居老人の割には様々な出来事がありましたが、一番大きな変化は、「童夢」と完全に縁が切れてしまった事でしょう。もともと、私が童夢の未来を託した現オーナーが投入してきたのが高橋社長でしたし、私も十分に話し合って承認しましたから、基本的に、私は高橋社長を支える立場にありました。しかし、レーシングカー・コンストラクターを引き継いだはずの現オーナーも高橋社長も「利益を上げてからレーシングカーを作る」というスタンスでしたから、「そんな悠長な事を言っていたらいつまで経ってもレーシングカーは作れない」という私とは、経営/運営方針には大きな違いがありつつも、高橋社長のビジネスに対する絶対的な自信に惑わされてもいましたし、経営権の欠片も無い私は横で文句を言い続けるしかないという状態が続いていました。もっとも、企業の姿勢としては、彼らの論理が正しくて私の暴走を煽る主張の方が間違っていることは自明の理でしたが、そうしないとレーシングカーを作るチャンスさえ無かったことも事実ですし、何とか童夢が生きながらえてこられた原動力となっていたことも事実です。
そんな訳で、レーシングカーを作らない童夢に私が出来ることは何もありませんでしたから、譲渡から2年後には、相談役も顧問も退いていましたが、それでも高橋社長とは変に気が合って、特に個人レベルでは仲良く付き合ってきましたし、童夢に関しても、いろいろと相談されたり愚痴を聞かされたりの関係は続いていました。

もともと、現オーナーと私とは旧知の仲でしたが、童夢の譲渡話が少し停滞していた頃に、間に入って熱心に仲立ちをしてくれた女史がいました。この女史は現オーナーとも私とも古い知り合いでしたし高橋社長を連れてきたのもこの女史でしたから、この四角関係はそこそこ縁深く、本来は協力し合える関係だったはずなのですが、何と、その女史が連れて来た高橋社長と女史の間で確執が芽生え始めます。
構造的には、女史としては、私と現オーナーとの譲渡話を纏めたのは私(女史)だし、社長(高橋)を連れてきたのも私(女史)だから私(女史)は童夢の要職にあるべきだという思い込みに加え、現オーナーの女史への信頼感が強い事を後ろ盾にして何かと童夢に干渉してくるので、全権委任を前提に、さっそく住まいを京都に移してフルタイムで経営に専念していた高橋社長からすれば邪魔な存在でしかなくなり、だんだん、その拒絶反応は臨界点に近づいていました。
私は、基本的に高橋社長を支える立場だったものの、不必要ないざこざは誰の利益にもならないので当初は丸く収めようと動いていましたが、その内、高橋社長の怒りが臨界点を超えてしまったのと、私から見ても、現オーナーの信頼を嵩に懸けた女史の介入ぶりが鼻についてきたので、このまま放置しておいたら高橋社長が辞めてしまうし、そうなったら、高橋社長の営業手腕だけで息を繋いでいる童夢の将来は絶望的(そもそも私は、営業努力だけで食いつないでいる状況を是認している訳ではありませんが、それも無くなれば何も無くなりますから)ですから、何回も現オーナーに女史の排除を訴え続けていました。
ところが、現オーナーは「解りました」と言うものの状況は改善されないままに2年くらい続いた頃には、全体構造からみれば、はなはだおかしな構図なのですが、高橋社長と高橋社長を支える私VS女史と女史を支える現オーナーという対立関係が生じてきていました。そして、いろいろいろいろあった後に、現オーナーが高橋社長/私か女史かを二者択一する状況が生じ、現オーナーが女史をチョイスしたので、結果、昨年の7月15日に高橋社長は退任となり、同時に私も完全に縁が切れ、その後は全く童夢に行ったこともありませんし高橋社長の後釜の人も知りません。
晴れて童夢は女史の支配下に治まりましたが、まだまだ、これからどこを目指すのか見えないものの、現オーナーとの最初からの約束通り、絶対に、意匠や工業所有権や現存の開発車両などの知的財産を散逸させないように健全な経営を心掛けていただきたいと願っています。

何とか我が国のレーシングカー開発技術の火を灯し続けることだけを目的に、いろいろと画策してきましたが、技術力で外国のレーシングカー・コンストラクターと戦うどころの次元の話では無く、真夏の炎天下で溶ける氷柱を眺めているほどに成す術も無く、改めて、日本に「童夢」が存在していた事は奇跡だったと再認識しています。
一縷の望みがあるとすれば、隠居老人の私のところに、レーシングカー作りを経験してきた技術者の人達から「レーシングカーを作りたい」という相談がちょくちょく来ますから、巷には、少数ながら、まだ、そういう志を持った技術者も存在します。
年明け早々、ある企業がレーシングカー開発の重要性を認識して会社として取り組む事を発表します。そこにさ迷えるレーシングカーを作りたい技術者たちが集まってレーシングカー・コンストラクターとしての活動を開始するという初夢を観ましたが、枕もとで木林の「パパ」と叫ぶ声で起こされましたから、その後、どうなったかは分かりません。正夢である事を信じたいと思います。