COLUMN / ESSAY / LETTER

Jan.01 2017 HAPPY NEW YEAR

毎年、毎年、師走の声がちらほらと聞こえて来る頃になってから、「どこでも良いから南の島で今から空いているところ」と、あわただしくHISに飛び込むのが我が家の年末の風物詩となっています。
そんな押し詰まってから探しはじめてもロクなところは残っていませんから、ここんところ、PHUKETとかSAIPANとか、ちょっとラッキーにPALAU、沖縄が精いっぱいでしたが、これは、来年こそと年明けに予約をしておこうとHISに行っても、まだ受付が始まっていないから夏ごろに来てくれと言われたまま忘れてしまうからです。
今年も11月の末になってHISに飛び込みましたから、やはり正月にかけては希望のところが取れず、結局、クリスマス前に帰ってくる日程でGUAMしか選択肢はありませんでしたが、このお正月は新居に居たかったのでOKです。

この原稿は、GUAMから帰った12月23日に書いていますから、私の顔は真っ黒ですし、姪っ子の梨々華たち家族と共に楽しい時間を過ごしてきましたが、久しぶりにGUAMに行って思いだすのは、(株)童夢設立以来7年目の、まだ余裕もなければ先も見えない黎明期に、社員と家族、約40名を引き連れてGUAMに社員旅行に来た事です。
今から考えても、逆さに振っても鼻血も出ない状況下、無理矢理にルマンに挑戦していた頃に、何でまたGUAMなんぞに繰り出したのか良く覚えていませんが、私の決死の大盤振る舞いも、社員たちからは、「このクソ忙しい時に何で南の島や」と評判は芳しくなかったようです。
そう言えば、バブル崩壊の悪夢が顕著となる時期の1995年頃あたりに、事も有ろうか自前でF1のプロトタイプを開発していたのですから、今更ながら、あの時期に何であんな金のかかることが出来たのか、さっぱりと解りません。
まあ、それ以前に、何で童夢が私が引退するまで存続し得たのかすら理解できていませんが、私に解らないんですから、これから童夢を発展させていかなくてはならない人は大変でしょうね・・・(遠くを見る目)。

しかし、引退以来、1年半が過ぎて、仕事らしい仕事もしていないのに、やたら忙しくて何もかもが後回しになっていく現状にも理解が及びませんし、昔は、こんなことをしていたら将来は絶対にホームレスだと思っていたのに、何故、今、のうのうと暮らしていられるのかも解っていません。
しかし、こうしてみると私の人生、本人すら、さっぱりと訳の解らないままに勢いだけで転がってきたという感じですが、まあ確かに、クルマを作りたいという激情だけは溢れていましたから、それだけを原動力に突っ走ってきた人生だったと言うことででしょう。
だから今、資産運用の必然性から収益物件のようなものを取得しなければならない状況があるのですが、モノ作りが介在しない事には途端に発想力も判断力も決断力も無くなり、何についても迷うばかりで何事も前に進みません。

引退した今、今更ですが、私の本質って、こんなにもぐたぐただったんだとガッカリすることばかりで、もし私がクルマ作りに興味がなかったらと考えるとぞっとするくらい、今までの長きに亘って、クルマ作りだけが私を支えてきたんだという事を実感しています。
しかし、幸か不幸か、元嫁がボケている暇もないほどの課題を押し付けてくれていますし、またぞろ、盆栽趣味のようなクルマ作りに手を染めてしまいましたから、徘徊はもう少し先の事になりそうです。

さて、今年の正月は新居で過ごすことになりますが、別居した2012年以来の4年半にも及ぶマンション暮らしからの脱却に気分も高揚気味ですから、どうしても自宅で過ごしたかったのでGUAMも正月以前に帰国するスケジュールを選びました。
正月に家に居て何をするんだというと、それは、何をさておいても「白みそのお雑煮」を作ることですね。
味噌は山利としま村を使い分けますが、出汁が重要なのでこれから昆布の買いだしです。また、京都では、お雑煮を食べる直前に鰹節を振りかけますが、これは削りたてじゃないとうまくないので、美味しそうな鰹節も必要です。お餅は出町のふたばに頼んでおきます。
久しぶりの、我が家と言える場所で過ごすお正月、遠足前夜の小学生(私は並んで歩くのが苦手だったので、ほとんどサボっていましたが)のようにワクワクとした気分で準備を進めています。

林みのる