自動車

基本的には、童夢製の自動車の中で「CASPITA」だけは、デザイン作業を、当時、社員だった伊藤邦久におおむねを任せましたが、その他の車両はすべて私がデザインしています。
ただし最近のレーシングカーは、空力部隊の発言力が強くなりすぎてスタイリング・デザイナーごときが口を出せる環境ではなくなっていましたので、厳密に言えば、スタイリング・デザイナー不在ですが、そこは、社長がデザイナーという特殊な環境の童夢ですから空力部隊にも少し遠慮があります。
それが、結果的に裏目に出たかどうかは別として、レーシングカーであれ何であれ、全くスタイリングに配慮していない工業製品は存在を認めませんから、必ずちょっかいは出します。
ただし、F3、S101、S102、NSX、HSVなどは風洞のみがデザインしています。



  • 2012 F109
    画期的なフレーム構造にトライしていましたが、設計の現場で全てありきたりなデザインになってしまいガッカリのSFJシャーシです。思いっきりのこだわりがあればどうにでも解決手段があるものを、ちょっとした障害ですぐに回避してしまうから、みんなありきたりになってしまいます。


  • F1082010 F108
    UOVAモノコックを採用した最初のF4なので、かなりカッコ良さを追求しながら開発しました。しかし、開発コストの問題から風洞は使っていませんが、ちょっと心配だったので、車両が完成してから後追いの風試は行いました。可もなく不可もない結果でしたが、負けだしたら真剣に取り組むつもりです。


  • DOME F202009 DOME F20
    当初、JMIAで立ち上げようと企画していた F20用のプロトタイプですが、久しぶりにクレイモデルを作ってデザインを進めました。アメリカのショーに展示していたら、お師匠のピート・ブロックから「私が最近見たレーシングカーの中で最も美しいマシンだ」とお褒めのメールが届きました。


  • DOME S1022008 DOME S102
    このマシンは、童夢の歴史上、最高の開発費を投入して開発された非常に贅沢なレーシングカーです。また、今後の改善の礎となるように多くの実験的要素も取り入れており、これからの継続的な参加を前提として開発されました。欲張りすぎて複雑になりすぎて、今年組んだペスカロロのエンジニアは閉口していました。


  • ML PROTOTYPE1998 ML PROTOTYPE
    HONDAと無限からの依頼で開発したオーバル可能なレーシングカーです。もてぎのオーバルの活用方法に悩んでいたHONDAがMLを開発して、FNにオーバルを組み入れる事を条件にシャーシを提供しようという計画でしたが、マシンの輸入が出来なくなることを案じたFNの会長から断られた可哀そうなマシンです。


  • FD & SRS-F1998 FD & SRS-F
    HONDAのドライバー育成システムSRS-F用の教習車及びFormula Dreamレース用のレーシングカーの開発/生産を依頼されました。それまでのマシンがアルミ・モノコックだったので、高度な安全性を目指してCFRPモノコックを採用。高剛性過ぎてリピートオーダーが来なかった「福助の靴下」型営業的失敗作です。


  • JOTTO CASPITA1989 JOTTO CASPITA
    ワコールとSUBARUのJVを受託。ただし、折からのバブル崩壊を受けてSUBARUが手を引いてしまったので、仕方なく、ワコールと童夢で何とか完成まで漕ぎ着けたものの、街中を走り回るところまでは行き着きませんでした。童夢製の車両の中で、唯一、チーフデザイナーが私以外(クニ伊藤)の珍しい車です。


  • TOYOTA 88C-V1988 TOYOTA 88C-V
    自動車メーカーは常にそうだけれど、開発の主導権を握らないと丸投げと評価されるし、実際に開発すると失敗した時の責任問題になるし、いつも、出たりへっこんだり大変です。我々は、そんな狭間をかいくぐって好き放題しようと画策しますが、このマシンはかなり楽しめました。


  • DOME F1011988 DOME F101
    童夢最初のF3000だったから、新しい試みはなんでも取り入れようというまるで実験車のようなマシンでしたが、それ以前に、CFRPの積層技術が未熟だったために走るたびに剥離が生じ、たちまちお蔵入り。しかし、CFRPに問題が無かったとしても、奇抜すぎて実戦性能としては通用しなかったでしょうね。


  • TOYOTA DOME 87CTOYOTA DOME 86CTOYOTA DOME 85CTOYOTA DOME 84C




    1987 TOYOTA DOME 87C / 1986 TOYOTA DOME 86C
    1985 TOYOTA DOME 85C / 1984 TOYOTA DOME 84C


    本格的な自動車メーカーからの受託業務という事で大変に張り切っていたプロジェクトでした。同時に、自動車メーカーとの付き合い方の難しさを痛感しましたし、何もかも下請けのせいにされてしまう環境はいただけませんでしたが、しかし、まだまだ予算規模の小さい時代、それでも、仕事としてレーシングカーが作れることは至福の喜びでした。

    当初は、「ラリー用エンジンの開発」という理由でCカー・プロジェクトがスタートしたために小さな直4エンジンを搭載していましたが、とにかく非力だったので、空気抵抗を削減してストレート・スピードを稼ぐことに集中していました。しかしある時、「ポルシェが速いんだから素直に真似をしろ」と命じられたので、サイドラジエターになりました。

    当時はCカーにもグランドエフェクトが導入されつつある時期でしたから、我々は盛んに空力開発の重要性を説きましたが聞き入れてもらえませんでした。その代わり、同じく導入が進んでいたCFRPに関しては熱心だったので、童夢は東レとタイアップして基礎からの研究を重ね、それが今の童夢カーボン・マジックの事業化につながっています。

    国内の耐久レースからルマンにステップアップが決まった時は、思わず、TOM’Sの舘と銀座に祝杯をあげに行ったほど大喜びでしたが、初年度「童夢with TOM’S」2年目「童夢&TOM’S」3年目「TOM’S with 童夢」とチーム名が変わり、4年目にはお払い箱になってしまったので、仕方なく1987年からF3000に転向を余儀なくされました。


  • DOME RC82i1983 DOME RC82i
    1982年の童夢 RC82は、レース後、C.クラフトに預けてありましたが、いろいろ手直しをして1983年のルマンに参戦。ドライバーはC.クラフト/E.サラザール/N.メイソン。N.メイソンはジェントルマン・ドライバーだけど、私の大好きなピンクフロイドのリーダー/ドラマーだったから即採用。遅かった・・・


  • DOME RC83C1983 DOME RC83C
    この頃はベンチュリーシステム台頭の時期でしたが、全く空力の重要性を理解しない自動車メーカーに業を煮やして、童夢として独自にベンチュリーシステムにトライしたマシンです。しかし、見よう見まねだったので直ぐにフラットボトムに変更できるように準備していたし、残念ながらフラットボトムの方が速かった・・・


  • DCFI BLACK BUFFALO1985 DCFI BLACK BUFFALO
    前年、本田博ちゃん、由良拓也、生沢徹ちゃんの3人が、私に断りも無く鈴鹿8耐にオリジナル・バイク「White Bull」で参戦したのを僻んで、次の年に、カーボン・フレームの「Black Buffalo」を開発して参戦しましたが、多くの人から名前まで真似するなとクレームがきました。3000万円を投じた洒落が通じなくて残念なプロジェクトでした。


  • TOYOTA TOM'S Celica C1982 TOYOTA童夢 Celica C
    TOM’Sの舘が「TOYOTAでCカー作ることになったぞ!」と興奮した声で電話してきたから私も小躍りせんばかりに喜んだのですが、良く聞くと、600万円だけ出すということらしい。しかも、Celicaの宣伝費から捻出するからCelicaの形をしていなくてはならない、って?しかし「この入口を入ってしまえば直ぐにルマンだ」という舘の予言は的中しました。


  • DOME RC821982 童夢 RC82
    この年よりレギュレーションがCカーになったのでボディを変える必要がありましたが、何しろ資金が無かったので、英国で最も安いボディ屋さんに外注しました。ヤケクソでポンチ絵だけ渡して帰ってきましたが、次年度のレースの前にはちゃんと完成していました。
    牧場の馬小屋のような工場で独りで作業していたオッチャン、侮れず!


  • DOME RL811981 童夢 RL81
    1979,1980とほとんどスポンサーも付かない状況で頑張ってきましたが、もう限界と思っていた時に、「頑張っているね」とAMADAが支援を申し出てくれました。AMADA印のはっぴ(500円)をチームウェアとして持っていきましたが、これが大好評で、レース後、たくさんのトップチームがウェアの交換に来たので大儲け出来ました。


  • DOME RL801980 童夢 RL80
    初年度の惨敗の原因を参考に新設計したマシンです。スタート直後にギアボックスが割れたので、取り外して町の溶接屋さんに持ち込んで修理をしたためにずっと最下位でしたが、日本車として初完走を果たしました。私は、箱崎でパスポートの期限が切れているのが発覚。TOM’Sチームの罵声を浴びながら急きょお見送りしました。


  • CELICA TURBO1980 童夢CELICA TURBO
    ルマンで好成績を期待するには複数台のエントリーが必至だと考えていましたが、予算的には参加するだけが精いっぱいだったので、TOM’Sが購入したシュニッツァー・ターボに目をつけ、車体を作ってやるからルマンに出ろと持ちかけたところ舘は3秒でOKしました。
    なお、当時は、社内での作業(開発)はタダという感覚でした。


  • 1980 TOM'S COROLLA G51980 TOM’S COROLLA G5
    TOM’Sの舘に、COROLLAのG5を作るからボディのデザインをしてくれと頼まれましたので、バーで話を聞きながらコースターの裏にポンチ絵を描いていたら「これでいいよ」と持って帰って、しばらくしたらこの車が出来ていました。デザイン料をよこせと言うと「コースターの裏に書いた落書きに金払えるかよ!」ですって。


  • DOME ZERO RL1979 童夢-零 RL
    資金と経験不足の童夢の最初のルマンカーは、一点豪華主義でストレート重視のレイアウトを採用。オープンの規定なのにバックミラー・カバーと称する屋根を付けて行って車検が通らず、あわや車検落ちというような冒険を重ねつつ2カーエントリー。憧れだけだったルマンが現実となり止められなくなりました。


  • DOME P-21979 童夢 P-2
    1年以上、童夢-零の国内でのナンバー取得に努力を続けましたが、運輸省に相手にもされず、交渉すること自体が嫌になって挫折。アメリカでの取得を目指してアメリカのレギュレーションに合わせたP-2を2台開発し、ラスベガスなどへのテスト走行も重ねていた頃、
    ルマンに挑戦するチャンスが訪れ、瞬間的に忘却の彼方へ。


  • DOME ZERO1978 童夢-零
    PANICを最後に遊びほうけていた私ですが、やっぱり車造りを諦めきれずに、レーシングカーがダメならスポーツカーだと1975年から開発を始めました。とにかく一発勝負でしたから、この作品が世間から評価されなければ童夢はそのまま終わりです。だから、世間受けだけを狙ったデザインで、目的は達成されたと言えます。


  • PANIC1971 PANIC
    レーシングカーを作るたびに資金作りに走り回り、完成した頃には借金の山という生活に限界を感じて、もう足を洗おうと決心していた頃の最後の作品です。とにかく金が無かったのでFJしか作れなかったというのが事実で、デビュー・レースに使ったエンジンは鈴鹿RSCのガレージにあったN360耐久テスト車からの借りものです。


  • KUSABI1969 KUSABI
    当時、憧れていたピート・ブロックがサムライ・プロトのベースに使ったシャーシ「Le Grand」がどうしても欲しくてKUSABIを計画しましたが、途中で資金切れとなり困っていたところを田中慶治(Gainer)に買ってもらって助かりました。おかげで、2002年になってFerrariのGTマシンを作らされましたが。


  • MACRANSA1966 Macransa
    時間切れとなったTojiro-Ⅲをベースに、S600用のレーシングボディ・キットと割り切って作り直したのがMacransaです。フレーム構造のS600のボディを積み替えるだけでレーシングカーを作ったような気分になれますし、エンジンをチューニングするよりも安く速くなったので20人くらいが買いに来たと思います。


  • 1966 Tojiro-Ⅲ
    第3回日本グランプリを目標にグループ7のTojiro-Ⅲを作り始めましたが、当初の、FRP
    モノコックやオリジナル・サスペンションやエンジン位置の後ろ下への移動など、全てが、時間と資金不足で実現不可能となり、結果、S600のフレームにオープンボディを架装しただけとなって、エンジンが飛び出したままとなってしまいました。


  • 1965 Tojiro-Ⅱ
    浮谷のドライブでカラスが優勝した後、ふらっと訪ねてきたK氏の依頼でこのマシンを製作して、明日がデビュー・レースだという日に浮谷が事故死して、名前が「Tojiro-Ⅱ」になりました。星島浩さんがボンネットに東次郎の似顔絵を描いて夜の鈴鹿サーキットの追悼パレードの先頭を走ってシーンは忘れられません。


  • karasu (カラス)1965 karasu (カラス)
    今から考えても、悪夢じゃなかったのかと思うくらい無茶苦茶な無理に無理を重ねて奇跡的に出来上がった私の最初のレーシングカーです。詳しくは拙著「童夢へ」を参照ください。ただし、現車も無く寸法もあやふやなまま勘をたよりに作ったので、子供の作った張子の虎みたいな出来でした。