COLUMN / ESSAY

女性ユーザー向け『私の取り扱い説明書』 

はじめに
私は、半世紀以上にわたって自由奔放に生きてきたが、そこそこ、やりたいことはやってきたし、他人に迷惑をかけることも無かったと思っているし、かなり満足度の高い人生を過ごせたと思っているから、私には後悔も反省のカケラも無いし何も変えるつもりはない。ただし、結婚生活についてだけは汚点まみれであり、今は3回目の離婚をして現在は独身だ。
しかし、基本的に独り暮らしは嫌いだから、また結婚するかもしれないと思っているが、私は、結婚という形態に大いに欺瞞性を感じているし、また、結婚だけでは無く、あらゆる場面において私の男女関係に関する持論は全く世間に受け入れられないから、どう考えても、最も結婚生活に適していないタイプだということは自覚している。
今までのケースにおいては、相手側の家宝のような娘とおっさんの同棲生活が許される訳もなく、状況的に、結婚という形式をとらない限りおおっぴらに一緒に暮らすという事が叶わなかったから結婚するしかなかったが、だから結婚に際しては、いつも事前に私の考え方を詳しく説明して了解を取り付けているつもりなのに、だいたいは、結婚した途端に「常識的には・・」とか「普通は・・」とか「・・すべき」とか「・・が当たり前」とかの一般論が大上段に振りかぶって来るようになり、今まで私が説いてきた高邁な恋愛論など急激に色あせて出る幕も無くなってしまう。
心の底で「そんなに普通が良いのなら俺を選ぶな!」と叫びつつも、私にも相手を選んだ責任があるから状況の改善に努力するものの、その努力が、ややもすると郷に入れば郷に従え的になってしまうから、気が付けば相手は限りなく増長していて、結果、両雄並び立たず、「奥さんが可哀そう」的に終焉を迎えてしまう。
私から言えば、豹変したのは相手側だし、結婚と言うお墨付きを手に入れただけで私を支配しようなんておこがましいし、例えれば、戦闘機で遊覧飛行しょうとして「気持ち悪くなった」と文句を言ったり、激辛担担麺を注文しておいて「辛い辛い」と怒っているようなもので、それなら最初から「セスナに乗れ!」「チャーシュー麺を頼め!」と言う話だ。
土台、係わり方が間違っている!と言いたいが、男と女、そして世間と私との溝も距離も底知れぬほどに深く、そして遠い。

だから、これから予想される4回目の結婚に際しても同じようなプロセスを経ることにな
ると思うし、その結果、当然に起こり得る4回目の離婚に際しては、このような事前説明を明文化して公開しておくことにより、事の良し悪しは別にしても、少なくとも私のブレない一貫性だけは明らかにしておきたいし、「俺は最初からこう言っているんだから、変節は勝手だが人のせいにするな!」と言いたくてこれを書いている。
だからこれは、私の「取り扱い説明書」であり、「初めにお読みください」的マニュアルであり、「これ以外の使い方には対応していませんので保証の対象外となります」という警告だ。

騙し合い、ごまかし合い
人間が文化的な生活を送るようになって以来、本質部分で異なる精神構造を持つ男と女は、騙し合いながらごまかし合いながら付き合ってきたと思うし、それは今も変わりは無いか
ら、騙し合いながらごまかし合いながら付き合わざるを得ない宿命にあるけれど、どうも、私はそのあたりが苦手で、正直だと言えば正直だし、開き直っていると言えば開き直っているのだが、かと言って、全てを本音で女性と会話をしても「何?あの男!おかしいんじゃないの?」で終わってしまうし、まして、口説こうなんて時は、ほとんどを嘘で固めないと恋も始まらない。
だから私も、「私の事が一番好き?」と聞かれたら「もちろん、今、一番好きな人だよ」くらいの事は言うし、自分では「今とは前後約1時間」くらいの解釈で嘘ではないと納得するくらいの手管は労しないと、本音だけでは会話は5分ももたないが、本質的に正直者である私にとって、その、本音とまやかしの使い回しがとてもストレスとなる。
まだ私も、全ての女性を敵に回すには今すこし枯れ方が半端なので、ここで全てを本音で語ることは出来ないが、少なくとも、嘘をつくことがないように配慮しつつ、言いたいことだけを一方的に言わせていただくことにする。

人類を滅亡から救え!
私は基本的に、人類は男と女が出会い愛し合う為に存在していると思っているし、人類にとって、それ以上に重要な事は何も無いと思っているから、世の中の全ての男と女は、もっともっと自由闊達に愛し合えば良いと思っている。
それでも人間は、さまざまな権利や義務を法制化して愛し合う事さえも法律で縛ろうとす
るし、その上、男も女も、はなはだ自己中心的かつご都合主義的な要求を相手に求めるものだから、結果、あらゆるルールとマナーと良識において、「男と女は、生涯に一人だけの相手とだけ男女関係を持つ」ことが究極的に清く正しい男女関係とされ、「いやー、私は高校時代の同級生と結婚しましたから全く他の女性は知りません」なんてとっぽい男が神々しく支持され、誰かのように「3回離婚しています」なんて男は、まるで変質者か蛇蝎のように蔑まれる。

しかし私は、この現在の結婚制度というものは、近所の世話焼きのおばさんの手引きでお見合いして、ろくに顔も見ないまま初夜を迎えるみたいな、子孫繁栄のための自然な営みであった時代の遺物であり、現在のように、男女同権を超えて女性が強くなっている現状には、適していないどころか、最早、制約が大きすぎて弊害にもなっていると思えるほど欺瞞に満ちていると思っている。
こんな、主人は上座、嫁末席、風呂は最後、3歩後ろを歩いて、子供が出来なかったら離縁されて、洗濯は井戸から水を汲んで洗濯板でゴシゴシ、風呂はまきをくべて火吹き竹でフーフー、新聞紙を濡らしてばら撒いてほうきで掃除するような時代の制度を、ため口で居丈高に振る舞い、風呂はボタン一押し、亭主のパンツは別洗い、掃除はルンバ、TV観るのと女子会が仕事のような現在の主婦(あくまで一般論です)と同列に扱う事に無理があると思っているし、女性にとっては、旬が過ぎたと同時に「そろそろ結婚を考えています」などと依存体質が丸出しになってしまうほど優位な制度になっている。

別に、私が3回も離婚した言い訳をしている訳では無いが、こんな、旧態依然たる結婚制度を押しつけ続けていると、近い将来、結婚と言う概念そのものが崩壊してしまうのではないだろうかと危惧している。
日本でも、ほんの数十年前までは、成功した男は複数の女性の面倒を見るのが務めのような雰囲気の時代もあったし、勝海舟だって8人の面倒を見ていたと言われている。
実際に、適当な相手に出会えなかったおかげで苦界に身を堕としたなんて不幸話は山ほど
残っているし、私のおじいちゃんの時代はそんな感じだったから堂々たるものだったが、父の時代になると母とちょっといさかいがあり、私たちの時代になるとバレたら即離婚なんだから隔世の感はあるが、何を古いことを言っているんだ!と嘲笑っているうちに、晩婚化が進むは草食男子が増えるは生涯独身人口が増えるは、それにつれて男の生殖能力が退化を始め、結果、少子化が進んで人類は滅亡に向かうのだ!
つまり、結婚という制度が、種の保存を目的としたものならばその夫婦の育てた子供の数に比例してメリットを与えたらいいし、恋愛の成就した先という事であれば、元より恋愛なんて情操だけのものなんだから、不貞とか財産分与とか離婚とか、そんな事をペナルティとして法律で定めて押し付けるような話ではないし、どちらかはっきりしろと言いたい!大きなお世話だ!

しつこく、結婚の不条理を語る
3回も離婚している私が結婚について語る資格があるのか?だからこそ語れるのかは知らないが、まず、結婚に対する考え方を明確にしておかないと、あらゆる話が天動説と地動説のようにひっくり返ってしまうから、とりあえずここから始めなくてはならない。

私の場合、基本的には、「これだけ数多くの彼女の中から、特に貴女だけを選んで結婚してあげるんだ。すごいだろう!」と、人生最大のプレゼントをしてあげたようなつもりでいるが、一方の相手は、ここをゴールとして生きてきたかの如く「選ばれた以上、これからは私が飼い主よ!(本人自覚なし)」と豹変する。
恋愛時代からここに至るまでの極めて自然な変貌ぶりは、あまりに自然で作為を感じないが、何回か経験してくると、その変化は、DNAに刻み込まれた予定調和のように至って計画的で、その日々の変化を感じるたびに、ああ!お前もか!と落胆してしまう。
何を根拠にそんなに強化されていくのか知らないが、そんな時「貴方、夕べは女の人と飲んでいたでしょう?友達が見てたわよ」なんて言われた日には、「それがどうした!」「それが君と何の関係があるんだ?」「それは質問か?詰問か?」「何の理由があって聞いているんだ?」などと、思いっきりむかつきながらも、そんな嫁にとっても勇気のいるはずの言葉が、まるで当たり前のごとくすんなりと口から出てくる事実に呆然とするし、昔、香港の立派な宝飾店で買ったカルチェの保証付き金張りライターが使うと共にシルバーに変わっていった時のようなショックが蘇ってくる。
そんな時、「黙れ!いつも言っているように、そんなことはお前には関係のない事だ!」とか啖呵をきれば少しは状況も変わるのだろうが、ほぼこういうケースにおいては、思わず、「いや、友達の彼女から相談を受けてね・・・」なんて言い訳を始めてしまうし、そう言った時点で、カチッと音がしてダイアルが一つ進み、確実に二人の立場は変化してしまう。
そうしてダイアルが進んでいくうちに形勢はたちまち逆転してしまい、その内、水と油、歯車の凸どうし、磁石の同極みたいに、混ざり合う事も噛み合う事もくっつくことも出来ない関係に陥ってしまって、結果、破綻に至るという訳だ。

普遍の原理に挑戦する私が悪いのか、こんな私に「常識」をふりかざすようになる妻が悪いのか、結果的に、私の結婚は3回とも破たんした。
もとより恋愛なんてものは自由な気持ちの発露であるべきだし個性も千差万別であり、その組み合わせの形は何億通りもあるはずだが、現実の結婚は、そんな恋愛の成就した形というよりは、結婚というひな形を上がりとするスゴロクのように、みんながそこを目指してサイコロを振り続けているように感じる。
そして、結婚と同時に人生スゴロクが始まるが、その既定路線を外れるとたちまち失敗という烙印が押されることになる訳だ。まあ、何回も失敗している私が偉そうに言うことも無いが、しかし世の中には、例えば、車に全く興味は無いけれど仕事上必要だから一番近くのディラーのセールスに勧められた車を買って壊れるまで乗り続けた人のように、土台、相手なんか誰でも良かったとしか思えないような夫婦もたくさん居るし、私に言わせれば、そんな夫婦関係は不純異性交遊に等しいのに、概してそんな夫婦が、人生をまじめに生きたまっとうな人のように評価され、究極の愛を求めて彷徨う旅人のような私が放蕩三昧に蔑まれるのは、どうしても納得がいかない。

そもそも、婚姻と言う法律上の契約に不条理が際立つ。法律上、その契約が効力を生じるためには前提として契約が有効でなければならないことは言を俟たないから、「不老不死にする」とか「石を金塊にする」とか「明日の太陽を西から出す」とかいう実現不可能な契約は成立要件を満たさない。
しかし、婚姻と言う契約では、例えば、「配偶者の不貞な行為」なんて条項は、つまり、22歳で結婚した男は、生涯、他の女性には目もくれるなという話しであり、健康的な一般男子にとっては絶対に守り得ない条約を盛り込んだ時点で、そもそも婚姻という契約は法
律としての態を成していない。
「藤原紀香と結婚できた陣内智則ですら浮気するのだから、人並みの容姿のお前がとやかく言うような筋合の話ではない!」というような暴言は認めないが、私は、この人権侵害
にも等しい条項をどうしても無くせないと言うのなら、結婚と同時に50枚の免罪符を発
給するなりの救済処置を講ずるべきだと思っている、いや100枚だ。

男と女の間の深くて大きな溝と距離<エゴと都合の関係>
男と女が、お互いに騙し合いながらごまかし合いながらしか付き合っていけないとは、どういう事を言っているのかと言うと、例えばだけれど、世間では、奥さん不在時に彼女を自宅に連れ込んでいるところを、早く帰った奥さんに見つかって大事件になったりする事があるけれど(先日は逆のケースもニュースになっていたが)、これが男同士の会話になると「いやーっ、嫁さんに見つかって大変だったよ」「うまくやれよなー」くらいの話だ。
また、夫婦二人と愛人を連れた友達との4人で食事のテーブルを囲んでも、通常、奥さんはその男の不貞を責めて席をけるようなことは無く、常識レベルとしては他人事なら容認
する傾向にあるのに、もし自分の旦那が他の女性とねんごろにしていたら許せないのは、モラルというよりも、妻と言う立場による都合か単なるエゴによるものであることを如実に示している。
ほとんどのケースにおいて、妻と言う立場の女性は自分以外の全てを否定するし、2番目の彼女は奥さんを容認しつつも3番目以降は否定するし、3番目の彼女は奥さんと2番目の彼女は容認しつつも4番目以降は否定する傾向にあり、これらも全て各々の自己都合により成り立っている。
「婚活」において、対象を独身で彼女も居ない男だけに絞ることは当然なんだろうけれど、これとて、見方を変えれば不純な動機と言えなくもないし、逆に、妻子ある男を愛してしまうことを不純とは言い切れないと思うし、これらは全て、それぞれの立場での「都合」によって語られるエゴにしか過ぎないと思っている。
いずれにしろ、女性たちも、独占欲とか嫉妬とか言い出すには、それなりの立場を手に入れてからしか言えない訳だから、関係が深まるにつれて出てくる保身術にしか過ぎない。
だからもし、お互いにうそ発見器を持ちながら男と女が愛を語り合ったら、絶対に会話は5分も続かないだろう。
ことほど左様に、男と女の間の溝と距離は深くて遠く、しかも、その間には山ほどの都合やエゴが堆積しているから、永遠に解り合う事の出来ない関係だ。

モテる世界とモテない世界 <選択の自由>
この世の中、男女を問わず、モテる人とモテない人の差はエベレストの頂上とふもとの村よりも大きな差があり別世界だ。そのお互いが相手の状況をまったく想像できないほどか
け離れた世界であり、たぶん、男と女の間の溝と距離よりも遠い世界ではないだろうか。
モテる男には、当然、女性が群がってくるが、モテない男は独りの女性の確保もおぼつかないし、モテる女性たちの後ろには男が列をなして待っているのが見えるが、モテない女性は、ひたすら優しさと明るさをアピールし続けるしかない。
土台、この大きな環境の差を同じルールとモラルで論じる事には無理があると思っているし、何より女性は、そのどちらの男を選ぶことも出来るのだから、絶対に浮気も出来ないようなモテない男を選んで安心するもよし、モテモテ男の彼女の一人になるのもよし、選択は自由なのに、得てして、モテモテ男を独占しようという無謀な挑戦を試みるから、これは、しょせん一万円札を握りしめてスポーツカーを買いに行くようなもので、ぎりぎりレンタカーが良いとこだ。

豊かな世界と貧しい世界 <選択の自由>

また現在は、人類史上、最も女性の立場が強くなっている時代であることは確かだが、その要因の一つとして、若い男女の生活力に差が無くなり対等平等感が醸成されてきたものと思うが、それは、あくまでも生活力に乏しい若い男の話であり、世の中には、まだまだ女性の生活の全ての面倒を見るという男も存在するし、一方、資産家のお嬢さんも居る訳で、彼女たちの感覚は、まさに金持ちの男と変わるところは無く、他人の世話にならなくても生きていける事がいかに大きな意味を持つかは男女を問わない真理だ。
土台、この大きな環境の差を同じルールとモラルで論ずるには無理があると思っているし、
何より女性は、そのどちらの男を選ぶことも出来るのだから、経済力のない男を選んで下僕のように扱うも良し、金持ちを選んで尽くすのも良し、選択は自由なのに、得てして、金持ちの男を下僕のように扱おうなんて無謀な挑戦を試みるから、これは、しょせん「私ならライオンでも手なずけられるわ」と近寄って首をかまれた松島トモ子みたいなもので、不幸な結果を招くことが多い。

リンゴ園を歩く<受け身を貫くこと>
確かに私はわがままに好き勝手に生きてきたが、少なくとも、私に迷惑をかけられたと思っている人も私を恨んでいる女性も居ないと思っているし、自分が好き勝手に生きることの前提条件として、絶対に他人に迷惑をかけないということを強く意識してきたが、その為には、相手の意思を尊重することが重要だ。
言い換えれば受け身に徹するという事であり、責任回避だと穿った見方をする人も居るだろうが、恋というものは、夢中になればなるほど嘘が多くなるし先も周りも見えなくなるものだから、結局、相手に勘違いさせて結果的に迷惑をかけてしまう事になりがちだ。
だから私は、いくらリンゴがほしくとも樹を揺らしたり枝を折ったりしないし、地面に落ちているリンゴも拾わない。しかし、全くリンゴの樹の無いところをいくら歩いてもリンゴは手に入らないから、なるべくリンゴの樹の下を歩くようにしているし、タイミングよ
く落ちてきたリンゴは確実にキャッチする。
しかし、往々にしてリンゴはもぎ取られたと言い出しがちだから、リンゴさん、私のポケットに入った時の状況を決して忘れないように脳裏に刻んでおいてね。

独占欲と嫉妬心<そもそも人を所有できるのか?>
信じられないだろうが、私には、ほとんど独占欲と嫉妬心というものがない。
もともと、人間に対して所有権のような感覚が皆無だから、言わば、私にとっての女性の存在は公共物のようなものであり、公園のベンチの周りに柵を作ったり、誰かが座ると怒
ったりしないように(例えは悪いが、いつも言っている事なので・・)、独占欲や嫉妬心はとても希薄だ。
だから、「俺の女」というような表現も感性として受け付けないし、「私の全てはあなたのもの」と言われても、「いや、そこまでは要らないんだけど・・」と思ってしまう。
そういうと必ず「じゃ、奥さんが浮気してもいいの?」と聞かれるが、私の持論で言えば、お互いの男女関係のヒエラルキーの頂点同志の付き合いが夫婦だと思っているので、当然、その下に階層がある訳だし階層というからには付き合いもある訳だから、それを否定するものでは無い。
ただし、その頂点が変われば夫婦でいる必要もないし、それでも付き合うなら愛人で充分だろう。いずれにしても、知らぬは亭主ばかりみたいな陰湿な感じはカッコ悪いという点でご免こうむりたいが、「俺以外の男と付き合ってはならぬ」みたいなセリフを言う気は毛頭ない。

人間関係<さらさらした付き合い方>
私は、男女を問わず、基本、「来る者拒まず、去る者追わず」だし「相手が一歩近づけば二歩近づく、一歩離れれば二歩離れる」ことをモットーとしている。
こういう感性は人間関係におけるトラブルには巻き込まれにくいが、一方で、生きる上での私の最大の欠点だと思っている。
確実に自分が必要とされていることが明らかな状況じゃないとそこに居られないし、人を誘うのは相手の都合を考えてしまって苦手だから誘われるのを待つタイプだ。
友達でも、しばらく連絡が無かったら自分からは連絡しなくなるから、お互いが相手の気持ちを斟酌しすぎて音信不通になってしまう事も少なくない。
つまり、ちょっと隙間風が通っただけでもう私はそこには居ないという感じだから、たぶ
ん、知らない間に大切な友達とも疎遠になっているだろうし、せっかく知り合った人から
も不愛想に思われているだろう。

しかし、このような人間関係における積極性の欠如は、欠点ではあるが、深層心理的には他人に迷惑をかけたくないという思いからくるものであり、基本的にさらさらした付き合いを好む方だし、引き際が鮮やか過ぎて、男女を問わずややこしいトラブルにまで発展しないから、ストーカーなどとは対極にある。
だから、私と別れたくなった時には、少し、隙間風を吹かせるだけで居なくなってしまうから楽ちんだけれど、とかく女性は、その私の性格を利用しながら私が勝手に出て行って捨てられた的な被害者面をするし、世間も必ず男が悪いように決めてかかるが、少なくとも今まで私から離れたことは無い、つまり、恥ずかしながら全て振られている訳だ。

さいごに<終わりなき普遍のテーマ>
ここまで読んだ方は、なぜ私が3回も離婚したか解ってきたように思われているだろうが、ここに書いたことはあくまでも私の持論であり、何事も思い通りにならない世の中、私だけが好き勝手に生きている訳もなく、特に最後の結婚は、継続を旨に努力と妥協を重ねた挙句の破綻であり、ほぼ、追い出されたようなものだから、基本「夢を語る」くらいに受け止めておいていただきたいし、通常、夢と現実は大きく乖離しているものだ。
まあ、このような普遍的なテーマを、いくらここで論じても「宇宙の果ては?」くらいに答えのない徒労となるだけだし、しょせん、私の持論など3回も離婚している現実が証明しているように世間ではまったく通用しない戯言だから、決して、私の意見が正しいと強弁するつもりもないし、皆様に、正しいとか間違っているとかのジャッジメントをお願いするつもりもないから、あらゆる批判はお受けしかねる。

本文は全編に亘って、それがどうしたという話ばかりだが、最初にお断りしてあるように、これは、女性ユーザー向けの『私の取り扱い説明書』であり、これから私の取得を検討される奇特な女性に向けてのメッセージだ。
しかし、世の中に溢れる売らんがための広告とは異なり、デメリットを強調して間違いのない選択を促す内容になっているから、取得後に、くれぐれも筋違いなクレームを突き付けないようにお願いしたいし、繰り返すが、私はこのような信念のもとに生きてきた人間であり、そのことを後悔も反省もしていないし、それなりに人生をエンジョイしてきたし、もう人生の90%は費やしてきたのだから、そんな残り10%の私に向かって、今更のように事の是非を問うたり、自分の意見を押し付けたり、まるで正しい人の道を説くような差し出がましいことは止めてほしいというお願いである。
やくざの親分に惚れたら、足を洗えと勧めるのではなく、立派な「姐さん」になって親分を支えろって話だ。

ただし、この「取り扱い説明書」の空しいところは、しょせん、過去の栄光を語っているにすぎず、今、私と知り合う人は、例えば、死にかけのライオンと出会ったようなものだから、怖いというより可哀そうと同情されるのがオチだし、昨今の私は、一見、悔い改めたように見えてしまいがちだが、連日の女性からのお誘いに応えきれないのも、毎日のように朝帰りしなくなったのも、日曜日に読書にふけっているのも、全ては体力と気力の問題で、つまり「戦意あれど戦力なし」という状態であり、決して悔い改めた訳でも無いし意欲を失った訳でも無い。
老けようが弱ろうがライオンはライオンであり、ライオンが弱ったからと言って猫になる訳ではないから、そこんとこ間違えずに、それでも良ければ介護の世界にどうぞ!

                                   林みのる