COLUMN / ESSAY

「スポーツ亡国論」 -社会評論-

我が国でこの意見を述べることはタブーとされているし、多分、袋叩きにあう事になるのだろうが、私にとっては、黙って飲み込むには限界を超えてしまったようだ。
まあ、私の老い先は長くは無いし、あの悲惨な戦争が終わった頃に生まれ、有限資源を食いつくし、孫やひ孫にまで莫大な借金を背負わせるのを承知で贅の限り を尽くした、多分、人類史上もっとも恵まれた時代を生きた幸せは充分に噛みしめながらも、私にも子供は居るし、その子も孫を産むだろうし、単純に、自分の 生きた時代が良かったからOKとは割り切れない気持ちも充分にある。

私はかねがね、自民党の政治家たちの振る舞いを観察してきて感じたことは、その政治家たちの愚かさよりも、その自民党に票を投じ続ける日本人有権者の心根の卑しさに愛想をつかしていたから、関わり合いを持つことすら好ましからざる思いで声を潜めているしかなかった。
だから今回の選挙においても私は、「自民党と民主党の選択では無く、兎にも角にも自民党から政権をはく奪することが先決」と言い続けていたし、自民党から政権をはく奪することを唯一の目的として民主党に投票した。
そして、希望通り自民党は政権を失い野党に転落したが、後は、これを契機に、党派を超えて本当に日本と言う国のために役立つ政治家だけが大同団結できる機運が盛り上がることを願うばかりだ。

そんな大切な時期にスポーツ選手の擁立だと!! 柔道選手?体操選手?競輪選手?野球選手?プロレスラー? こういう人た ちって、現役時代には、毎日、朝から晩まで一心不乱に体を鍛えることが責務ではなかったのか? そんな時に、毎日、数時間は社会問題を勉強していましたと いうような運動選手がいたとしたら、それこそファンの応援に対する冒涜ではないのか?
つまり、スポーツ選手という人種は、原則的に頭はからっぽであるべきで、逆にいえば、少しでも日本という国の牽引役を担おうという志があったとすれば、最も知識を吸収しやすい青年期にスポーツにうつつを抜かしていたり出来なかったはずだ。
とにかく、どうしてもこういう連中を擁立したいのなら、島田神助に頼んで「政治家ヘキサゴン」でもやってもらって、「現在の自衛隊の隊員数は?」とか「国 連の安保理事会の常任理事5カ国は?」とか「法律や行政機関の行為が、憲法に違反していないかどうかを判断する裁判所の権限を何という?」とか「国連が、 治安維持などのために小部隊などを紛争地域に派遣して行う活動を何という?」とか「憲法や法律の範囲内で内閣が定める命令を何という?」というくらいのク イズを100問くらいやって、90問以上正解したら立候補資格が得られるというくらいのケジメは欲しいものだ。

おおよそ政治というものは、どんなに仔細で局所的でマクロな判断や決定であっても、そ
の基づく所は大所高所からの視点でなくては単なる族議員であり我田引水にしか過ぎない。その大所高所からの視点というものは、物理的に飛行機から見たから と言って高所から見たことにはならないし、北極点から周囲を見回しても大所から見たことにもならないのだから、やはり基本的な部分は、学究的に蓄えられた 広範な知識をベースに経験が加味されて醸成された高い見識が必要不可欠だと考えるし、それが政治家というものでは無いのだろうか?
経験はこれからとしても、少なくとも、空っぽの頭で勉強も経験もこれからというのでは、あまりに国民を愚弄していると言わざるを得ない。
今まで体と技を鍛えることに専心していたはずのスポーツ選手は、一体、いつの時点から国民を正しい方向に導けるほどの見識を身につけたと思っているのだ? 何が君たちをそこまで勘違いさせてしまったのだ?

そもそもスポーツが盛んな事によって我が国にとってどんなメリットがあるのだ? 北島康介がいくら速く泳いでも「イワシ」 にすら勝てないのだし、福島千里が全力で走っても「柴犬」にすら勝てないし、彼らがいくら体を鍛えたところで、それが遺伝して日本人の体格が向上するとい う訳でもないのだし、もとより人類は、速く走るために船や自動車を発明しイワシや柴犬との戦いには決着をつけているはずだ。
GHQは竹細工のような飛行機とバカにしていた零戦に翻弄されて手を焼いていたから、戦後は日本に飛行機の開発を禁じるなど、幅広く、化学と技術分野に対 する抑制策を講じてきた。軍隊を持たせなかったことも日本の兵器の開発技術力を恐れての事とは無関係ではないだろう。
そういう意味で、日本国民がスポーツにうつつを抜かしている現状は、誰かにとって非常に好ましい状況では無いのかなと勘繰ってしまうほど、今、日本の置かれた立場と現実との乖離が肌寒く感じるこの頃だ。

さて、このような話を、ごく低所局所的に矮小化して日本の自動車レース界を見てみると、スポーツ選手=レーサーがレーサー の頭でレーサーのメリットのみを追求するだけの自動車レースの世界を構築してきた結果、未来への礎となるべき技術や産業の育成は置き去りにされ、単にレー サーが走り回るだけの、言わば、浜松のオートレース状態になっているが、金が賭けられない分、存在理由は希薄だ。
その結果、黎明期より数十年の時が過ぎた現在においても、レース結果はTVでも報道されないし、5大新聞にも掲載されないし、トップレーサーが街を歩いても誰も気が付かないようなマイナーな状況に沈み込んだまま夜明けの兆しも見えない。
これらは、スポーツ選手という人種に政治的判断を委ねた結果としては同様のケースなのだから、どうか政治家諸氏は、日本の自動車レース界の現状を良く研究して、政治家の資質について改めて考え直していただきたいと切にお願いする。

林 みのる