COLUMN / ESSAY

「そろそろ自動車レースを始めましょう!」 ―自動車レース論―

何か違う?現状
官僚の天下り、年金流用、廃墟となった公共施設の山、止まらない飲酒運転、親殺し子殺し、どうなってしまうのでしょうね?日本という国は。
我々の住む自動車レース界も、このような大きな不祥事は無いものの、ここのところ、停滞感と言うか閉塞感と言うか、関係者の間では、こんなはずではないと言う思いが強くなってきているのではないでしょうか?
とは言え、「自動車レースをメジャーに」という願いは、遠く1960年代の黎明期より延々と続く日本の自動車レース界の悲願であり、未だに達成されていな い永遠のテーマみたいなものになっていますから、ここに至ってやっと、一部の人ではありますが、今までの路線の延長線上には未来が無いのではないかという 疑念がぼちぼちと湧きあがりつつある状況という事ではないでしょうか。
そんな折も折り、現状、日本で最も盛況な自動車レースであるSGTCを統括するGTAが空中分解しそうになり、レース界の有志の尽力によってなんとか急場 はしのいでいますが、いかんせん緊急避難的にレースを続けているだけで、主体者さえあやふやなまま関係各位の企業と正式な契約を締結することにさえ支障を きたしている状況です。
低迷を続けるFN、華やかに見えたGTAの崩壊、勝てないF1、何が間違っているんでしょう? この先、日本の自動車レース界にどんな未来が待ち受けているのでしょう?

改革の芽生え
昨年(2006)の秋口から始まったGTAの崩壊へのプロセスを食い止め、再建を急ぐために舘や坂東などのレース界の古顔が集まっていろいろ相談をしてい たらしいのですが、レース界の人たちの間にも「何とかしなきゃ」という気持ちは高まりつつも「どうすればよいのか」という明確な多恵は誰も持っていません でした。
この頃、舘や坂東などのGTAの再建に努力するメンバーたちは、それぞれ、いろいろな人たちに日本の自動車レースの発展振興に関する希望の灯を求めて意見 を聞いてまわっていたようですが、たまに、目先のメリットについての情報は耳にするものの、「輝ける将来に向けての確たるビジョン」というような、これ だ!!と膝を打つような希望的な話はついぞ聞くことが無かったという事です。
悲観的な話と愚痴ばかりの繰り返しで暗澹たる気持ちになってくるし、解決の糸口も見出せないまま、GTAの再建は待ったなしの状態に追い詰められています。

実は、私は舘とは非常に親しいので、ごくごく初期の段階で相談を受けており、大勢の悲観的な意見の中で、私だけが「チャン スだ、この際、天下統一を図ろう」と前向きな意見を述べていたらしいのですが、この時点では、単なる変わった意見として聞き流されてしまったようで、その 後、しばらく連絡がありませんでした。
まあ、その間にだれとどんな話をしたのかは知りませんが、舘いわくとしては、「いろいろな意見を聞いてみたが、復活とかちょっとした改善とかの話はあって も、それ以上の話は皆無で、林みたいに、これをステップボードに日本の自動車レースの形まで変えてしまおうというような発想はどこにも無かった。どうせ力 を注ぐなら、修復より発展を目指したいから俺たちの参謀になってくれ」と協力を要請されました。

訳の解らない方のためにちょっと解説をくわえておくと、押しも押されもせぬ日本で最大の自動車レースであるSGTCです が、2005年あたりから、経営に関してよからぬ噂が聞こえてくるようになりそれなりの動きも察知したので、私はただちに関係者を招集して内部調査を提案 し、さる関係者が帳簿までをチェックしたのですが、問題なしという事で終わってしまいました。その後も、ややこしい状態は続いていましたが、ついに巨額の 借入金や怪しい金の流れなどがあからさまになり前経営者は追放されたのですが、このままSGTCを崩壊させてしまっては、直接、日本のレース界を崩壊させ てしまうようなものですから、なんとか持続させようと立ち上がったのが、レース参加者(GTE)をバックにした舘や坂東たちです。しかし、このままの状態 では、何とか維持していく事が精いっぱいであり、これから先の発展的な運営についてのアイデアも無いし考える余裕も無いから、何とか参謀として(策士と 言っていたような気も)助けてほしいという話が来たという訳です。
その時、私は、今や、自動車メーカーも参加者もドライバーも、あらゆるレース関係者にとって無くてはならないSGTCの殺生与奪のキャスティングボード を、臨時革命政権であるGTE(坂東)が掌握している状態でしたから、かなり支配しやすい環境にあり、その力をどのように行使するかが問われているという 状況なのですから、この千載一遇のチャンスを、単なるGTAの再構築に留まらず、もっと建設的な方向にも活用すべきだと述べていました。

相談を受けた私は、この15年間、言い続けてきたことを改めて説明し小手先の方法論よりも抜本的な思想から改めないと、向かうべき方向さえ定まらないし本当の意味での改革にはならないという私なりの説を説明しました。
ともすれば、各論をあれこれこねくり回すような流れに陥る傾向のあるレース界の人たちに、根本的な思想改革のような話を説得することが大変に難しいことは これまでの長い経験から充分に承知していますが、私にとっては、生涯を通じての一貫した理論ですし、自身のレース人生から得た確信的な裏づけもありますか ら、繰り返し、「日本のレース界は、根本的な考え方を変えない限りは、どんな小手先の改善を試みても未来の形を変えることは出来ない。改革を願うなら、ま ず、思想や理念から考え直すべきであるし、そうでなければ私に手助けできることは何も無い」と繰り返しました。
よほど、GTA事件やFNの状況に危機感を強めていたのか、一様に、この件で話をしたレース界の人たちは、今までに無く熱心に耳を傾け理解に努めてくれたように思います。
それからも、舘からの要請を受けて、GTAの再構築についての相談に乗ったり、日本の自動車レースの未来について語り合ううち、いろいろなアイデアも出て きたし、改善すべきところも頻出してきましたし、だんだんと共通認識は深まり、お互い、考え方の上でズレのない施策を打ち出していけるという確信が得られ るようになってきました。
しかし、喫緊の問題としてGTAの健全化は待ったなしですから、ただちに、新生GTAの「発起人会」のような組織をスタートさせることになりました。

これは、その「発起人会」に先駆けて、舘や坂東たちと改革の理念に関して共通認識を持つために書いた「理念マニュアル」のようなものです。

経験を活かし間違いを正す。
ちょっと話はそれますが、簡単に言えば、「こうして儲けよう」というのが戦略だとしたら、「何のために儲ける?」というのが理念だと思います。そうであれ ば、「日本の自動車レースをメジャーに」というテーマを具体化するのに必要なのは戦略だと言えるでしょう。しかし、長年に亘り、このテーマを追い続けてき た日本の自動車レース界に、もし、何らかの戦略があったのだとしても、現状、成功しているとは言いがたいのですから、という事はその戦略が誤っていたとい うことですし、その過ちを生み出してきた根本的な原因は、その戦略の礎ともなるべき理念に間違いがあったからであることを理解認識して、その反省を元に、 正しい方向を模索すべきでしょう。
もう一つ重要なことは、ここで、日本の自動車レースの持つ本質的な病巣を根治しておかないと、もともと、出発点から違う方向に進んでいるのだから、いくら 一生懸命に歩いても、目的地には向かわないし、下手したら遠のいていっている可能性もあるくらいだからです。
つまり、「経験を活かし間違いを正す」という単純な事ですが、案外、こういう当たり前のことがおざなりになって正すべきところも正せないまま違う方向に向かっているという事はよくあることです。まず、正しましょう。

改革の基本理念
改革には向かう先が無ければならないし、そこに到達したら得られる大きなメリットも必要ですが、何よりも大切なことは、理念と言うか、筋というか、「何故 なぜそうしたいのかという気持ち」であり、その気持ちを結集することによって得られる力によって成し遂げられるものだと思います。
こうすればこれだけ得するとか、これだけのメリットが得られるとかの実利的な話も重要ですが、それでは、単なる商談にしか過ぎませんし、それ以前に、現状 をどうこねくり返しても、この荒れ果てた荒野のどこにも、何の得するような話も落ちてはいません。
個人的なメリットを追及する前に、まず、この荒れ果てた荒野に緑を取り戻し、それから収穫についての話をすべきですから、そのためには、なぜ荒れ果てた荒 野になってしまったのかを説明すると共に、どうすれば、緑を取り戻せるのかを説明したいと思います。

まずざっと、概念だけをお話しすると、今までの、若手ドライバーを育ててF1にもぐりこませれば、日本の自動車レースは華 やかになる、というようなあやふやで何の生産性も無いような夢想の世界から脱却し、自動車レースは自動車開発技術の戦いであることを思い出し、その上で、 日本の自動車レース技術や産業や工業力を育成することにより、そこから得られる利益をレース界の中で還流させて豊かにすると共に、将来的には、貿易収支の 改善にも役立つレベルにまで拡大発展させることによって、日本の自動車レースの経済力を強固に発展させながら、世界のトップレベルの技術力を手中に収めよ うと言う計画です。
そんなうまくいくものかい?と思われるでしょうが、これは、私が15年前から主張し続けてきた、「自動車レース産業をないがしろにして、日本の自動車レー スの発展も成長も無い」という叫びそのものであり、日本が、成熟した先進のヨーロッパの自動車レース界に、唯一、つけ込める隙間があるとすれば、日本の優 秀な技術力と工業力しかありません。

今、最も重要なことは、日本の自動車レース産業の保護と育成です。
ないがしろにされ続けてきたからへたるのか、実力が無いから相手にされないのか、はたまた、単なる無視なのかは解りませんが、どこの国でも、例え、自国の産業が未成熟であっても、将来の発展振興を期待して、手厚い保護育成に努力するものです。
東南アジアの自動車産業においても、当初は、とんでもない車を作っていたにもかかわらず、何百パーセントもの関税を課して外国製品の輸入を阻止して国内産業の育成に努めたからこそ、現在の隆盛があります。
しかし、現状でも、日本の技術は、ヨーロッパに比べて、大きな遜色があるとは思えませんし、価格面でも、物価高騰のはなはだしい英国よりも安く作れるはず です。F3シャーシの生産に際して、全部品に関して、ローラ社と相見積もりを取りましたが、90%の部品に関して日本のほうが安かったし、品質面でも凌駕 していました。
それでもなおかつ、日本のレース界の需要は、日本のレース産業を見向きもしないで海外に流れていきます。

日本の自動車レース産業が世界を制する日
チャンスさえ与えれば、日本人の英知と日本の技術力工業力は、またたく間に、世界の頂点に到達するでしょう。英国のMIAの発表によると、英国の自動車 レース産業の年間生産高は約7200億円。雇用者数、約38,000人。関連企業数、約4,000社とあります。もちろん、この中には、日本から流れてゆ く大金が含まれていますが、日本の自動車レース産業の発展振興は、その流出を止めるだけではなく、世界のマーケットへの進出も夢ではなくなります。流出す るお金が減り輸出が増えれば、これはすなわち、貿易収支の改善に寄与することになり、そのうち、F1界には日本製パーツが溢れ、MIAから泣きが入るよう になるかもしれません。
そうして向上する技術力、産業力につれて、自動車レースに対する感性や見識も高まり、何事にも正しい判断が出来るようになっていくでしょう。事、自動車 レース産業界だけが潤うという話だけではなく、つまるところ、日本の自動車産業全体のレベルアップに繋がっていくはずですし、国際貿易収支の改善にまで貢 献することになるでしょう。
育てるだけのインフラもないまま、ドライバーの育成だけにうつつをぬかし、散財の限りをつくしていては、失うものは金銭だけではなく、残るのは、力のな い、抜け殻のような自動車レース界と、レーシングカーのようなものが走っている、まるでギミックのようなドライバーの腕比べと、集まる人も居ない疲弊し きったレース界が無理矢理でっち上げる、実力のないドライバーもどきだけです。

丸投げ先を変えるだけで、日本の自動車レースの発展振興に寄与できます
日本の自動車レース産業を無視する傾向は、日本の自動車メーカーのF1やルマン挑戦に如実に現れています。「勝ちを急ぐ必要があったから、海外の既存技術 に丸投げするしかなかった」というのが彼らの主たる言い分ですが、長年に亘り、海外の技術力の強化向上のために大金を投じ続け、国内の自動車レース産業や 技術をないがしろにしてきた結果、その日本の投資で育った技術はヨーロッパのレース界に散逸し、また、その技術と戦うためにお金を投じ続けます。マッチポ ンプです。おかげで、停滞を続ける日本の自動車レース技術との格差は開く一方です。

もっとも悲惨なのは、依存度が高すぎるために、自らの感性や見識さえも育たず、いつまでたっても、何をどうしたらいいかさえも解らないままであることです。
自動車メーカーが海外に依存している10%を国内に振り向けてくれれば、その資源により、日本の自動車レース技術と工業力は瞬く間に発展向上し、それによ り、年々、そのパーセンテージは大きくなり、やがて、100%を通り越して輸出が拡大すると言う夢物語です。

日本のレース界が、日本の自動車レース産業をないがしろにする事例には事欠きませんが、最近の出来事では、FCJのシャー シにフオーミュラ・ルノーが導入されました。タツースというフランスの小規模なコンストラクターの製品ですが、あのレベルのシャーシなら国内でいくらでも 生産できますし、サスペンション・パーツなどは、40年近くもフオーミュラを作り続けているウェスト・レーシングなんかの方が、うんと優れた製品を製作す るでしょう。たぶん、国産採用の検討もなされなかったでしょうから、完全無視に等しい状況です。

自動車が好きな子供たちはどこに行った?
まさに、自動車開発技術を競い合うことが命題である自動車レースにおいて、その開発技術を海外に依存して恥じない体質は、単に、国内の自動車レース産業を 疲弊させるだけに止まらず、レーシングカーの開発という、本来は、子供たちの憧れの職業に対しての価値を著しく低下させ、興味を失わせている原因となって おり、ひいては、自動車を魅力的なマシンとして捕らえるというよりは、単なる便利な道具としか認識しなくなってきているように思えてなりません。
私は故あって、長年に亘り、鳥人間コンテストの審査員などを努めてきましたが、事前審査には400機以上のエントリーが殺到します。中には、造ってしまえば出場させてもらえるとばかり、完成機の写真を送りつけてくるつわものも居るくらいです。
また、自作車両によるマイレッジマラソンへの出場者もかなりの数をキープしており、日本の若者たちの創造への意欲は捨てたものではないのに、自動車への関 心が低くなっている傾向に、自動車レースにおける技術軽視の傾向が、少なからず影響を及ぼしていると思っています。

以前、大人のミニ四駆のような、手軽にレーシングカーの開発とタイムトライアルが楽しめるシステム、「GRANTEC」の 企画を考えたり、「DOME CLASS」を開催して、希望者にレーシングカー開発の各プロセスを体験させたり、F1マシンの開発を主題にしたゲームソフ ト、「童夢の野望」を制作するなど、従来より、自動車開発への興味の喚起を狙っていろいろ仕掛けてはいますが、自動車を興味溢れる機械として捕らえる感性 がどんどん希薄になっていく傾向はますます加速しているように思えてなりません。

また、自動車メーカーの、海外に丸投げすることを大前提とするF1参戦に対する姿勢が、日本の若者たちに与えた悪影響は計り知れないと思っています。
レーシングカーの開発を生業とする我々だから肌身を持って解りますが、日本人がレーシングカー・デザイナーを目指しても、しょせん、自動車メーカーは日本 人を使わないし育てもしないのだから、頂点のF1には届かない環境にいることが見えている訳で、若者たちが、頂点を目指せない事が解っている世界に興味を 持たないのは、ある意味で健全な精神です。

日本製レーシングカーが活躍する場面が増えれば、少しでも、このような傾向に歯止めをかけられるかもしれません。少年たちの自動車への興味なくして、自動車レースそのものに意味もありませんから。

間違いの素、FN的日本の自動車レースとの決別
F3000時代の終盤の頃、大金を投じてレースに出場しているのに、エントリー費を取られたり、パスなど各種経費を徴収されたり、主催者側のレースを開催 してやっているという意識や、サーキット側の走らせてやっているという感覚は変わらず、サーキットやレース主催者に出走料の交渉をしても、「この施設の維 持管理にどれほどの費用がかかると思っているのか?レースを主催するたびに大赤字だ」と一蹴されていました。
しかし、その割には、年間8戦だったのが、9戦になり10戦になり、ついには12戦になりそうになっても、相変わらず、出させてやっているという論理は変わらず、しかも、チームの負担は一方的に増大していきました。
理屈の上では、それほどの負担なら、レース数は減少するはずで、その開催権が奪い合いになっている状況はあまりにもおかしな出来事でした。
さすがの参加者もおかしいと思い始め、参加チームの団体であるJFRAを設立し、改善に乗り出した矢先、バブル崩壊を向かえ、主催者側も参加者側も、お互いにそれどころではなくなってしまいました。
また、ヨーロッパではF3000が終結し、ワンメイク・レースへの変わり目を迎え、日本も、今後の進路を選択する必要に迫られていましたが、その時、フジ TVを後ろ盾に主導権を握ろうとしたある人物の画策により、フオーミュラ・ニッポンの新体制がスタートしました。
この提案/計画は、日本のレース界が、全てをこの個人と一私企業に白紙委任するというとんでもない約束を前提としていましたが、結局、ただ一人だけの反対 の声は届かず、たいした検討や協議もなされることのないまま、単純に、TVの力で明日から天国と踊らされた全てのチームが追従していきました。
当初こそ、いろいろなコンストラクターのシャーシの導入が図られましたが、これは、全くレーシングカー造りを知らない人たちの浅知恵で、それまで、日本の F3000に各種のシャーシが走っていたのは、世界中でF3000レースが開催されていたから、各コンストラクターがそれに向けて発売していた各種シャー シの一部が輸入されていたに過ぎません。複数のコンストラクターが、20台そこそこの日本だけのマーケットの為に、最新のフオーミュラを投入し続けること は不可能です。
当然、早期にワンメイク・レースに移行しましたが、これは、結果的には、あらゆる自動車レース産業や技術を排除することにより、見た目の低コストを売り物 にした自動車レースもどきのギミックになっただけで、お金もかからないかもしれませんが、技術力の進歩を排し、産業を衰退させ、流入する資金を止める、ま るで、ドライバーの為だけの駆けっこ大会のようなもので、たちまち衰退していきました。
フジTVが手を引き、やっと終焉を迎えると安堵していたら、不思議なことに、自動車メーカーが救済の手を差し伸べるは、エンジンの供給を開始するは、本質的な問題解決には無縁の、単なる延命策が続いています。
FNにまつわる疑問や不思議な話はいろいろありますが、もっとも不思議なことは、誰も、これらの疑問や不思議な出来事の原因や理由を解明しようとしないことです。
以前、HONDAが、オーバルも走れるFN用のシャーシを開発し、FNに供給したいと申し入れたことがあります。HONDAとしては、FNの中にオーバル レースを取り入れたいという思惑はあったものの、一年間ノンオーバーホールのエンジンと共に、FNにとっては、サンタさんのプレゼントほどうれしい話のは ずでした。
誰もが、高いシャーシの購入に四苦八苦している時に、足ながおじさん的な気分で話を持ちかけたら、FNの事実上のボスである人物から、「一社(童夢)に利益を独占させる訳には行かないから」と断られました。
また、全てのシャーシがレーナードというワンメイク状態のときに、800万円もするアップデート・キットを売り出し、この人物の主宰するチームが率先して 買ったから、みんなも買ったという馬鹿げた出来事もありましたし、レーナード社が倒産した時、その年に新車を購入したチームがかなりあるにもかかわらず、 次年度には、ワンメイクに移行し、全てのチームがローラの新車の購入を余儀なくされたという事もありました。
これらのあからさまな利権構造がもっとも嫌うことは、特定の輸入商社以外から販売されるレーシングカーの出現です。従って、現状、日本で走っている全ての フオーミュラ・カーは、この輸入業者一社が独占しており、公取もびっくりするほどの完全独占状態です。
見方を変えれば、この業者が輸入できる車種でレースをしている状況とも言えます。
こういう話に対する反論としてよく言われるのは、国産化すると高いという理由ですが、過去において、日本で、この種のレーシングカーの開発が可能なコンス トラクターに対して、見積もりの依頼が来たことなどは一度もありません。はなから無視です。

また、ワンメイク・レースは、輸入業者一社だけが儲かるという構造欠陥以外にも、癌細胞の全身への転移のように、レース界 自体を衰退させるという恐ろしい副作用を持っています。考えればすぐに解ることですが、ワンメイク・レースというのは、コストダウンというメリットと共 に、レーシングカーの機能を平準化して、ドライバーの能力評価を容易にするという特質があります。この両者共に言えるのは、技術要素を何も導入しないこと によって成立することであると言うことです。つまり、セッティング以外触ってはいけないのだから、レース関連産業は締め出され、そこには、エンジニアの活 躍の場も無く技術力の向上も望めません。ただ、ドライバーだけが、己の技術を見せつけるためだけに走っている、非常に傲慢なレースです。

額縁ショー
「ある美術館で展示会が開催されています。それは、額縁職人の腕を競う発表会で、さまざまな額縁が展示されていますが、絵の良し悪しで額縁の評価を誤らな いために、額縁の中の絵は、すべて真っ白なキャンバスに統一されています。これが、現状のFNの実態です。 これぞ本末転倒、主客転倒、本来、額縁の役目 は、絵画を引き立たせ守るべき事にあり、額縁だけ並べ立てても、誰も見に行かないし、これでは文化も育ちません。ミケランジェロやダヴィンチの作品が、額 縁の為のお飾りだとでも言うのでしょうか?」
お解りだと思いますが、美術館はサーキット、額縁職人はドライバー、キャンバスはレーシングカー、これが、FNの現実です。

こう言うと必ず、「ヨーロッパにもワンメイク・レースはある」という反論が帰ってきますが、ヨーロッパの場合、F3であれGP2であれ、そこに、F1という輝ける頂点があり、そこに到達した一握りのドライバーには、有り余る収入と栄誉が待っているから成立する世界です。
だから、そういう可能性を秘めた若いドライバーをバックアップする人も企業も沢山あるし、チームは、ドライバーサイドが支払うお金で成り立っています。こ こが終点であるFNと、F1へのステップボードであるGP2とは本質的な成り立ちが異なります。
またこう言うと、必ず、「テニスやゴルフも競技者だけの戦いだが、みんな観ている」と反論されますが、これら一般のスポーツは、もともと、身一つで戦う性 質のもので、ラケット・レースでもクラブ・レースでもありません。ドライバーの優劣を競うためだけに、自動車メーカーが、何億~何百億を投じてレーシング カーという競技道具を開発してやる必要も義理も無く、まずは、「ドライバーは、レーシングカーを勝たせるために存在する」という原点をお忘れなく。

日本の自動車レースの変質度を表す代表的な例としてFNを取り上げたのは、このレースに、日本の自動車レースの問題点が全て凝縮されていますから、このレースに存在価値を感じている人には、今回、我々が言わんとしている事の真意は全く伝わらないと思います。
つまり、FN的自動車レースからの決別が、新たなる、日本の自動車レースの出発点となるし、改革の第一歩となるということです。

日本の自動車レースの思考回路(猿山現象)
何故、これほど左様に、日本のレース業界の思考回路が狂ってしまったのかを考える時、原点に、「儲からないけれど好きでやっている」というような自己犠牲 的な思いが根強くあり、それが時にはプライドの支えになっていたり、時には、斜に構えて孤高を気取る要因になっているような気がします。つまり、趣味の世 界だから、利益に汲々とすることにはなじまないというような雰囲気を感じます。
しかし現在、第一線で活躍しているレース業界の各企業は、もう何十年もこの仕事を続けており成長してきました。それ以外の事業を行っている企業は少なく、 それってつまり、みんなレースの仕事で食って来た訳で、充分に、ビジネスでありプロフェッショナルの世界ではないでしょうか? 日本のレース界は、こうい うアマチュアリズムの蔓延によって脆弱化する一方、私が猿山現象と呼ぶ特殊な構造を持っています。

今度は動物園に例えますが、ある客足も途絶えて久しい寂れた動物園で、建て直しのための会議が始まりました。
もともとこの動物園は、子供の来場者が多かったので、子供受けする猿山が売り物でしたから、大きな猿山にたくさんの猿が住んでいます。 その猿たちは、不 況対策として、「猿の餌を良くして毛並みを良くすればお客が喜ぶ」とか、「猿をもっと増やせばお客が喜ぶ」とか提案しますが、所詮、猿ですから、猿山に対 する利益誘導や我田引水のような話しか出てきません。それを、猿好きの経営陣が鵜呑みにするものだから、今や、猿の猿による猿だけのための動物園になって しまい、キリンさんも像さんもライオンさんもペンギンさんも居なくなってしまったので、小数の猿マニアだけの猿園になってしまいました。
もちろん、猿とはドライバーのことですが。

「控えおろーっ!若手ドライバーの育成だ」
また日本では、何かと言うと、「若手ドライバーの育成」が錦の御旗になりがちですが、これも、猿山の中だけの論理で、現状では、むやみに小猿を産み落とし て砂漠の中に放り出すようなものですから、はなはだ無責任な行為で、そうして育てられたドライバーが、サラリーマンの年収に毛の生えたほどのギャラでGT のシートを奪い合う現実を、まず、改善することが先決ではないでしょうか。樹木が生い茂る豊かな大地があってこそ、猿たちも木々の間を元気に飛びまわれる のであって、砂漠に放り出しては生きていけませんし、猿には、砂漠を緑化するほどの知恵はありませんから。
もともと、レーシングドライバーは男の子の憧れの職業なのですから、そこに到達すれば余りある利益と栄誉が得られる環境さえ与えておけば、勝手に努力して よじ登ってくるでしょう。現在のように、たまたまレーサーを目指す若者がいて、少し目立って速いだけで、もう、おんぶに抱っこ、真綿でくるんで大切に育て るような環境からは何も生まれてきません。
現状は、ドライバーOBの、唯一、自分の存在を主張できる立場としての、利己的な、「若手ドライバー育成ビジネス」としか言いようがありません。

けっこう心地よいぬるま湯
たいていの場合、革命に至るケースというのは、危急存亡とか、切羽詰った状況からの起死回生みたいな環境があって生まれるものですが、日本のレース界は、 長年に亘り、「マイナーだ」、「メジャーに」と言いながらも、あまり潰れた会社もないし、それなりに成長拡大しているように見えますし、本質的に、生活に 困るというようなレベルの問題ではありませんから、不満があるとしても、個々、それぞれの立場による不都合と言うレベルの問題であり、改めて、上段から改 革と叫んでみても、「それって、どんな得があるの?」という感覚ですから、みんなで、各論をあれこれこねくり回して終わってしまいがちです。
もっとも、こうして集まって、「さあ改革だ!」と気勢を上げている我々からして、そこそこ大きな家を構えて、高級車に乗っている人たちですから、もちろ ん、命がけと言う訳でもありません。いわば、「贅沢な悩み」と言う程度の問題であり、そうなると、各人各様、レース界に居る目的も理由も異なりますから意 見が分散するのは当然で、大きな力を結集するということが大変に難しくなります。

私は、技術の介在を疎ましがるような風潮のある現在の日本の自動車レースに何の魅力も感じませんし存在の必要すら認めませ ん。だから何とか、自分の生きてきた世界が、もっと素晴らしい価値ある世界になってほしいと願っていますが、15年間に亘って同じ意見を述べ続けてきて感 じたことは、もう手遅れではないかと言うことです。
1970年に開催された第3回東京レーシングカーショーの盛況ぶりは、当時、手作りのレーシングカーを出品していた私の眼にも、輝ける未来が約束されてい るように見えましたし、瞬く間に、本場英国の技術を追い越してやると意気込んでいたものでした。
それから37年、日本の自動車レースが、自動車の開発技術を外国に依存する形で存続するとは想像も出来ませんでしたが、日本の場合、F1に代表されるよう に、これが、自動車メーカーの望む姿であり、日本の自動車レースの収入のほとんどを自動車メーカーに依存している現状では、日本の自動車レース界というも のは、自動車メーカーの庭先の池の鯉のようなものにしか過ぎません。手が鳴ったら駆けつけると麩がもらえて、そこそこ優雅に生きていけます。
今、この鯉たちに、荒海に出ろ!自立しろ!と檄をとばしても、もう淡水魚になりきってしまっていて、海に出たら死んでしまうのではないかと心配してしまいます。

自動車の開発技術を度外視して成り立たせてきた自動車レース界の人たちの見識は、どうしても、自分の間尺に合った範囲でし か見られないし考えられないと思うし、それが、日本の自動車レースの方向性を捻じ曲げてきた元凶だと思いますが、一方、FNのような、存在するだけで日本 の自動車レースを疲弊させる悪性腫瘍のようなレースが延々続けられ、未だに、自動車メーカーが、この死に体のFNに点滴をしたり人工呼吸器を取り付けたり して必至に延命を試みている現実が目の前にあり、そういう風景を眺めながら、自分の意見が、いかに異質なものであるかを実感せざるを得ません。
つまり、少数意見と言うことですが、少数意見と言うことは、その他の大多数の人が改革を望んでいないということもできる訳ですから、自分のポリシーには絶 大な自信を持ちつつも、はたして、日本の自動車レースの風土になじむような事なのかという疑念も捨て切れません。

このように、この改革は、必要不可欠という事でもないし、大多数の人が求めているという自信もないし、確信と言うほどのものはありませんが、論理的に突き詰めていくと、どうしても、現状の延長線上には破綻しか見えてきません。
いえ、自動車開発技術の戦いである自動車レースにおいて、その開発技術を海外に依存して恥じない精神構造は、もう既に破綻しているというべきでしょう。
だから、問題は、小手先の具体的な改革案などではなく、「自動車レースとは何ぞや?」という大命題を真剣に考えることから始めなくてはならないし、その正 しい答えが見つかれば、誰が何を決めなくても、自然に、流れは正しい方向に向かうはずです。

「今、日本のレース界の知性が問われています」

それでも、だからどうしたいのだ?と具体論を急ぐ方が多いと思いますし、GTAのこれからにも心配は尽きませんから、本書 で述べたような、自動車レース産業の保護育成を柱とした日本の自動車レースの再構築に理解を得た事を前提としてですが、別途、GTA改革の具体案をお知ら せいたします。