COLUMN / ESSAY

「日本モータースポーツ小論」 ―自動車レース論―

「好きでやってること」
日本という国情に、どのようなスタイルの自動車レースが適しているのかという質問に答えるのは難しい。現状が満足すべき状況なのか、まだまだ発展の余地が残されているのかも分からない。
どうして、このような基本的な問題の答えが見つけにくいのかと考えると、それは、レース界の人達がこれらの問題についてあまり真剣に考えてこなかったから だ。もし、私は考えてきたという人がいたとしても、それは非常に微視的で偏向的な考え方によるもので、そういう小さな持論があぶくのようにあちこちからぷ くぷくと出ては消えるという状態だったから、それがまとまった思想や理念、ましてや確立された文化というようなちゃんとした形にまで成熟してこなかった。
通常、このような利害の共通したグループは、それなりにまとまって力を持とうとするし、そのマスが大きくなると極端な方向転換が難しくなるから目指すとこ ろも見えてくるものだが、この日本のレース界では、わずかな餌を仲間内で奪い合うのに精一杯で、みんなでより多くの餌を獲得しょうという発想に至らない。 また、メリットが無さそうだから悪代官も現れない。水呑百姓でも年貢が重すぎたら一揆も辞さなくなるだろうが、おかげで結束するきっかけも無い。その上、 思考回路が根本的な部分で偏ってしまっているらしいので、いくら一生懸命考えても正しい答えは得られないのだが、この誤った考え方も、いずれ泡沫の一つと して消えていくだけだから反省の糧にもならない。
これらの諸現象の根源は「好きでやっているんだから」という諦めと言うか、いい訳と言うか、レース界の人達の気持ちの持ち方からくるものが影響しているの ではないだろうか。かく言う私も、レーシングカーを造り始めてから40年になるが、ほんの最近までレーシングカー・コンストラクター部門としては赤字続き で、それを補填するために他の業務で稼ぐというスタイルが当たり前になっていた。ついつい自分の会社のことは「趣味の同好会」と称していたし、ビジネスと しては特に将来に希望を持っているわけではなかった。
しかし、レーシングカー造りは趣味だからお金がかかるのは仕方が無いにしろ、レースに参加するためのコストがますます上昇していくにも関わらず、それが全 てエントラントの負担であり何の保証も無い。しかも主催者は赤字といいながらレース数はどんどん増えるという矛盾も理解できないのに、ちょうどその時、ス ポンサーが費用負担してレースに華を添えているキャンギャルにまで人頭税を課すという話が聞こえてきて、頭に来た私はF3000チームの利権団体としての JFRAの設立を呼びかけた。ちょうどその頃から日本のレース界の構造にも興味を持ち出したし、また、その内実を知れば知るほど改革の必要性を痛感した が、現実的には、その本来は仲間内であるはずのJFRAのメンバーとの思想的なギャップは絶望的に大きく深く、結局、真っ先にJFRAを離脱してしまうこ とになる。
この世界では、「好きでやっているんだから」儲からなくてもいい、「好きでやっているんだから」しかたがない、「好きでやっているんだから」何とかしてほ しい、かなり被害妄想的な言葉が日常会話の中で交わされることが多いが、これらの人達は長い人になると何十年もこの仕事を続けていて、別に他に仕事をして いる様子もないのだから採算は合っているはずで、また、この業界には意外と破綻する企業は少ない。やりようによっては充分に可能性があると思うのに、いつ も気分はマイナーという感じで、これは、まず最初にレース界の人達のマインドを切り替えなければ何も始まらないのではないかと思ってしまう。
生意気を言うようだが、童夢は日本で唯一の本格的なレーシングカーを開発できるレーシングカー・コンストラクターだ。常識で考えれば解るだろうが、事前に オーガナイザーとレーシングカー・コンストラクターとのネゴシェーション無くして新しいカテゴリーは生まれない。エントラントはその結果に対してレスポン スするのだから、少なくともエントラントよりも遠く広くまで見えていなければ出来ない仕事だ。少なくとも出来合いのレーシングカーを走らせる単なるレーシ ングチームとは違う次元の考え方が出来て当然だろう。 残念ながら、わが国には、そういう観点から自動車レースを見ることが出来る人が少なすぎる。唯一の本格的なレーシングカー・コンストラクターというほど少 数派なるがゆえに、なかなかその真意は理解されにくいようだが、私の主張はごく単純で当たり前のことで、それだけに、その基本的な部分を踏み外すと結果的 に大きな間違いになるということだ。「奇跡の壁のむこう」
ここのところ、我々もレーシングカーを販売するという現実的なスタンスでヨーロッパのレース関係者と接触する機会が多いが、改めてそのモータースポーツ事 情を観察してみると、やはりそこには自動車というハードウェアに対する強い思い入れが源流としてあるように思えることが多い。その昔、自動車というものが 発明された時代、それまで馬車を作っていた人たちが中心となって自動車を生産する企業が続々と誕生し、当然のごとく自動車の競争が始まった。その歴史は自 動車の誕生とほぼ同時代の1894年ごろまで遡る。
最初は馬車より速いことを証明するために、その次はスチームエンジンと内燃機関の戦いがあり、その後はいかに自社の自動車が優れているかをPRする最善の 方法として大いに盛んになっていったが、このころ誕生した自動車メーカーのほとんどが、その成長過程において自動車レースにかかわっていくことになる。
ルノー、フィアット、プジョー、アルファロメオ、ランチァ、ロータス、ポルシェ、MG、ダイムラー、メルセデス、ブガッティ、フェラーリ、マセラッティ、 アウト・ウニオン、ジャガー・・・きら星のように居並ぶスーパースター達の存在は圧倒的で、まあ、比較したところで詮無きことだが、これらの名車たちが ヨーロッパの自動車レースの歴史を創りあげてきた主人公であったことは間違いない。 このように本来は、自動車メーカーが「自動車の競争」としての自動車レースに参加することに確たる必然性があったために、特にあらたまって意義とか理由と かの説明を必要としない時代が長らく続いたおかげで、ヨーロッパではこの自動車の競争を原点とした自動車レースが文化的な営みの一つとしてすっかり社会的 に定着してきたのだろう。
一方、日本では本格的な自動車レース自体のスタートが1960年代と遅く、すでに「確たる理由」を必要としない「文化」のレベルに達していたヨーロッパの 自動車メーカーの上澄みだけを取り入れる事から始まったおかげで、この時点で、既に大切な原点を置き去りにしてきたようだ。しかし、その黎明期において は、まさに自動車の競争としての自動車メーカーの熾烈な闘いが繰り広げられ急激な発展の原動力となったし、また、幾多のレーシングカー・コンストラクター も名乗りを上げて、輝ける自動車レースの未来を予感したものだった。しかし、この頃のヨーロッパとの落差は大きく、当然と言えば当然だが、勝ちを急ぐ自動 車メーカーに日本のコンストラクターを育成している余裕も無く、日本のコンストラクター業界はよちよち歩きのまま置き去りになっていった。それでもプライ ベート・チームをマーケットにそこそこ健闘していたのだが、そのころ、ヨーロッパのF1の世界では技術の中心が空力とカーボン・コンポジットに移行しつつ あり、残念ながら、ほとんどの日本のコンストラクターたちは、この高度な技術力と巨額の投資を要求する時代の波には乗り切れずに脱落していった。唯一、童 夢だけがレーシングカーの開発に拘りつづけていたので、しゃにむにこの技術革新の時代を乗り越えてきたが、はっきり言って、この国のレース環境での童夢の 存在は奇跡と言っても大げさではない。
しかし、この奇跡の壁はけっこう高くて厚かったものだから、いつしか立ち遅れていった日本のレース界は、レーシングカー・コンストラクター不在のままの自 動車レースの形を模索するようになっていった。これは、自分たちの理解の及ばないレーシングカー開発技術の戦いを避ける形でのドライバー主役論のようなも のが支配的になってきたという現象にしか過ぎないが、結果的にこれが日本の自動車レースの振興を妨げる大きな要因になってきたということだ。
これは「レーシングカーを造れない国」のF1への取り組み方にもよく表れている。日本の技術だけではF1の車体開発には手も足も出ない現実が、今まで自動 車の競争をエンジンの競争と取り違えてきたひとつの結果であると言えるだろう。多分、彼等には何をどうすればF1の領域に達するのかという見積もりと言う かイメージというものも無いだろうから日本の技術を育てようという発想には至らない。結局、日本から流出する莫大な資金でヨーロッパの技術は猛スピードで 発達し、日本はますます取り残されていくことになる。

「何が戦っているの?」
日本のレース界の人たちが、自動車レースが「自動車の競争」であることを認めたくない理由は、思想ではなく心理だと思っているが、それはさておき、私は 常々、「自動車レースは自動車の競争である」と主張してきたし、また、そうでなければ構造的に成立しないと考えているし、単なるドライバーの競技道具とし てなら現在のハイテクの塊のようなレーシングカーは必要ないと考えているが、とりあえず、日本のレース界が今までメジャー化の主題としてきた「ドライバー 人気便乗作戦」や自動車レースの意義としての「人間ドラマ戦略」を一度冷静に見直して見ることだ。
FNの失敗は自動車の競技という部分をないがしろにした結果であり、JGTCの成功は自動車の戦いを主役に据えた事にある。簡単で明白な結果だ。ちなみに オートサロンは大盛況だが、日本人のレーシング・ドライバーを全員、東京ドームに並べてもあれだけの観客は呼べないだろう。
現在の日本の自動車レース環境を考えるとき、特徴的と思われるのはやはりドライバー偏重の傾向だろう。代表的なものが、何をするにも錦の御旗となる「若手 ドライバーの育成」だ。もともとレーシング・ドライバーは少年たちの憧れの職業であるはずで、放っておいても群がってくる状況が当たり前でなくてはならな い。その大勢の中から淘汰されてのし上がってきた者だけに栄冠が与えられるべきで、現状のように、取っ付きやすいようにハードルを下げ、真綿でくるんで大 切に育てるような状況こそおかしい。これがタレントのオーディションだったら日本の芸能界はブスばかりだ。
日本のレース界が彼らに与えるべきものは入り易いだけの入り口ではなく、輝ける頂点だ。
ドライバーの為という事であれば、頑張ったものには相応の地位と名誉とギャラを与えられる環境を作ることが先決であり、ろくな先行きも無いのに、どんどん新人を育成する現状こそ、日本のレース界の象徴的なひずみだと思っている。
私がこう言うと、だいたいはコンストラクターの僻みだろうと思われるし、自動車の競技を主張すると我田引水のように受け止められるが、もとより私は仕事上 の仲間であるドライバー達をないがしろにしょうと思っている訳ではなく、一蓮托生の世界だと思っているし、ドライバーがSMAPくらいの人気者になってく れれば、寿一や道上を脅してかわいいタレントでも紹介させるのだが、イケメンでもなければ歌も上手くないドライバーが人気者になるためには、そこに、レー シング・ドライバーが戦うべき重要な社会的必然性が必要な訳で、これは単に「ドライバー同士が優劣を競い合っています」だけでは成り立たない。
そこが、単純に人間の能力だけを競い合うマラソンなどの競技や、道具を使うにしろ、あくまでも人間の能力を競うための補助的な道具としてのラケットやクラ ブなどとレーシングカーの根本的に違うところで、この有り余る存在感を持つレーシングカーに費やす莫大な費用の意義をちゃんと正当化できない限り、自動車 レースの存在理由も説明できないし、ドライバーの優劣以前の問題だ。
何のために自動車が戦っているのかと言う重大な必然性や意義があってこそ、ヘルメットの奥に光るドライバーの鋭い眼差しや、スタート前の近寄るのもはばかるような緊張感が魅力的に見えるのだ。
「自動車の競争」と「自動車を使った競技」はその成り立ちにおいて似て非なるものである。私はどちらも大好きだが、日本の自動車レースの頂点となる自動車 レースを考えるとき、少なくともこの二つの根本的な違いを理解したうえで判断しないと、その存在自体があやふやになってしまい、「いったい何の為の戦いな んだ?」という疑問にすら答えられなくなる。もういちど原点を見つめ直すことから始めなくてはならないだろう。

「カーバのピラミッド」
私はずぼらなファンダメンタリストであるから、気持ちの上では原理原則を重視するし、基本的にはそれから外れた行動は出来ないが、憲法9条を持ちながらイ ラクに派兵しているわが国のように、本質論から言えば道理の通らないことを平気でやるような国からも逃げ出せないし、日本の自動車レースの現状もかなり理 屈にあわないところが多いと思っているが転職も出来ない。前者は全く語学力に乏しいからであり、後者は他に出来ることが何にも無いからであるが、つまり、 時すでに遅い訳で、しがみ付くしかない。
自動車レースは「自動車の競争」という原点は変わらないとしても、ここのところ、乖離の傾向の強まる一般車両とレーシングカーの技術要素の現状や、最も ハードウェアに重くのしかかるコストダウンの圧力などを考えるとき、今以上に自動車レースの本質はあやふやになって行くだろうし、その未来はますます混沌 と予想が難しくなっていることは私も感じている。
しかし私には、遠い未来は見えないが現状のおかしなところは良く見えている。それならば少しでも居心地を良くしておきたいという、まあ、改革と言うよりは当面のリフォーム計画案のようなものは考えている。
「自動車の競争」と「自動車を使った競技」の境界線があやふやになりつつある現象は何も日本に限ったことではなく、海外でも低コストで参加できるワンメイ ク・レースなんかが盛んになってきたり、コストダウンを目的とした厳しいレギュレーションのお蔭で技術競争が大幅に制限されたりする傾向が目立ってきて、 自動車開発技術の戦いや製品の優秀性をアピールするという自動車レースの本質的な部分の形骸化がますます進行している事情に変わりはない。
また、非常にエンターテイメント色の強いアメリカのモータースポーツなんかを観るにつけ、ふと「自動車を使った競技」の可能性についても考えることはある が、所詮、どの国のどのトップカテゴリーも自動車メーカーからのお金の流れが支えているという事実を超えるアイデアは出てこない。つまり、頂点のカテゴ リーは自動車メーカーによる自動車の戦いでしかありえないと考えている。しかし、底辺なしに頂点はあり得ないのだから、このピラミッドの中腹までの登りや すい階段としてのワンメイク・レースなんかの必然性は当然だとして、要するに、日本の自動車レースのポジショニングを、この自動車レースのピラミッドのど こらあたりにレイアウトするかの問題である。
ドライバーのことだけを考えたとするならば、F1やIRLに直結した太いパイプを持つワンメイク・レースなら日本のトップカテゴリーとしても意義があるか もしれないが、同じ主旨のヨーロッパのF3000なんかも本来の機能を充分に発揮しているとは言えず、現状はF3高校からのストレートに失敗した浪人生た ちが自費で通学しているF1大学への予備校のようなものだ。
こんな、単なるステップボードのようなワンメイク・レースが日本のトップカテゴリーだとしたらちょっと情けないし、これではデザイナーもエンジニアもメカ ニックも育たない上、レース関連産業が全く機能を失ってしまう。 ドライバー偏重の極地のような考え方であり、逆に言えば、こんなインフラも整っていない環境から本物のF1ドライバーが生まれる訳も無く、見掛け上から も、世界一のピラミッドがクフ王の墓だとしたら、日本はせいぜいカーバ王の墓くらいにしかならないだろう。
何とか、日本なりの意義と意味を持った素晴らしいトップカテゴリーを創造したいものだし、うまく行けば、たぶん同じようなプロセスをたどるであろう韓国や 中国も巻き込んだ、アジアを中心とする新しい自動車レースの形を世界に向けて発進させることも夢ではない。
これからの自動車レースがどちらの方向に向かうにしろ、この確たる理念を持たない日本の自動車レースの現状は、言い換えればどちらにも向かえる訳で、知恵 を合わせてちゃんとしたビジョンを構築すれば、次世代へ向けてのすばらしい提案が生まれるかもしれないのだ。
だが、このような遠大な計画も、肝心の日本の自動車レース事情が脆弱では影響力も少ないし、とりあえずの問題として、もう少し日本の自動車レースをメジャーにしておく必要があるだろう。

「自動車レース メジャー化作戦」
この国で40年間以上も自動車レースに関わってきて、今更ながら、つくづくマイナーな世界で生きてきたものだとがっかりすることが少なくない。それにして も、根本的な思想や理念を正すには時間がかかるし簡単じゃないだろうが、当面の問題としても、少し何とかなりそうなものだという思いは常に持っている。
たまたま、私が昔から常連として通っている飲み屋には競馬の騎手を始めとする関係者がよく来るが、昔は私も彼らのことを「ギャンブル関係者」ということで 少し偏見を持って見ていたかも知れないし、ちょっと違う世界の住人達として近寄りがたい雰囲気も感じていた。しかし、そういう人たちを間近で見続けている と、近年におけるそのステイタスの向上振りには目を見張るものがある。いまや競馬はギャンブルの枠を超えて社会的に認知されたレジャーとなり、騎手はあこ がれのスターになり、芸能人を嫁さんにもらい、馬主の人種も飛躍的に向上したが、これはやはりJRAの努力によるものなのだろう。
社会人の時代からJリーグに変身した当時のサッカーの豹変振りにも驚かされた。
要するにビジョンと戦略と実行力があればこの自動車レースの世界ももう少しは何とかなるのではないかと思い続けているが、現実は、何も状況は変わらないまま希望的な動きすらも見られない。
日本のレース界の人たちなら誰しもが願う「日本の自動車レースのメジャー化」という命題は、本当にそれほど難しい事なのだろうか?

「まず膿を摘出する」
私なら毎月の家計の半分を借金で暮らしているような人とはお付き合いしたくない。しかし、自ら選んだわけではないが、気が付けば自分もその借金国家の一員 である。 ここのところ、わが国もなんとも筋の通らない国になってきたものだが、今やこの国では、真っ直ぐや真っ白な人は少し幼くて、清濁合わせて飲むくらいのフレ キシビリティが大人であり、真っ黒な人をやり手というような感覚になってしまったようだ。
国や省庁が率先してずるいことをやり、メディアも片棒を担ぎ、その、あまりにずるい出来事の多さに国民がすっかり慣らされてしまった状況と言えるかもしれ ない。そんな不条理が当たり前となってしまった国に暮らしながら、ほぼ諦めの境地で毎日を過ごしていると、身近なレース界の中でのミニ日本国状態にも違和 感を覚えなくなってしまっているのだろうか
しかし私は、日本の自動車レースの改革を考える前提として、まず日本のレース界の膿を取り除いておかなければならないと思っている。日本という国もレース 界も、目先の小さなメリットを餌に、その影で莫大なリスクを抱え込まされていることに眼を背ける、その精神的な構造においては似たようなものだ。
私は常々、JAFを称して「不必要悪」と断じているが、自動車レースの世界に、この天下り特殊法人の典型のような団体が君臨している構造自体が、もろに 我々レース界の脆弱さを露呈しているようなもので、そもそも、レース界の人たちがこのお上的な存在にすがる心根がかなり卑しいと思っている。
1963年に設立されたJAFは、本来はロードサービス屋さんとして誕生したが、第一回日本グランプリの主催を巡るどさくさにまぎれて、ASNとしての機 能も付いてきてしまったと言うところもあるみたいで、本質的に日本での自動車レースの発展に貢献するというような目的や情熱をもって始まったわけではな い。つまり、JAFにとってはおまけのような機能であり、当時は、訳は解らないわメリットは無いわで、積極的に取り組むほどのものではなかったようだ。
初期の日本グランプリ開催についても、毎回、聞こえてくるのはJAFの及び腰な対応ばかりで、いつも来年は大丈夫だろうかというような心配ばかりしていた。
事実、何回かの日本グランプリは中止になってしまったし、1974年には、石油ショックのあおりを受けたとは言え、本来は日本の自動車レースの振興を図る べきJAFが、いち早く日本グランプリの中止及び、その他のレースに対しても最大限の開催自粛を指導するという異常事態に陥り、日本の自動車レースは壊滅 的な打撃を受けた。
しかし、ここまでは黎明期の出来事、皆が試行錯誤しながら右往左往していたのだからまだしも許せるとしても、途中からJAFにとって自動車レースが利権となり権威となってきた頃から、もっとおかしくなってきた。
ここで、それまでのJAFの反自動車レース的行為の数々を述べるにはページが足りなさ過ぎるが、細かい出来事はさておき、1996年のある日、間接的にで はあるが我々レース界の者に、さる政治家の関係者からコンタクトがあった。この政治家N氏は、当時、国会で公益法人としてのJAFの問題点を追求してい て、その中に自動車レースの事も取り上げられていたが、公益法人のくせに高速道路でのロードサービスを独占して民業を圧迫しているとか、警察関係からの天 下りの巣だとか、利益追求のために直系の株式会社を3社も所有しているとか、その会社も印刷やツーリストなどおよそ公益法人のやるべき仕事ではないとか、 税金も支払っていないのに資産を760億円も貯めこんでいて、しかも現金が360億円あるとか、FIAに加盟してヨーロッパ偏重の排他的な運営をしている とか、まあ、そうは言っても、もともとが胡散臭い公益法人としては当然のようなことをしているだけで、財投で大判振る舞いをしたり、年金で作ったリゾート ホテルを叩き売りしている官僚たちに比べたら、しょせん大罪というよりはずるいと言うレベルだが、その中に、レース界の人たちには見過ごせない情報がひと つ含まれていた。
それは、この国会での追及によって切羽詰ったJAFが、自動車レースを切り離して、その権限をかなり好ましくない団体に譲渡しようとしているという噂だ。 そんなことになったらJAFどころではなくなるので、びっくりした我々は、急遽、レース関係者に回状を回して30名ほどのメンバーを集めN氏の話を聞きに 行った。その内容は驚くべきものであったが、もっと驚いたのは公益法人に関してはありふれた話で、それほど驚くべきことではないという話に驚いた。まあ、 それはそれとして、一応、我々レース関係者サイドには旗振りをしていたリーダーがいたが、2回目の集会の後、JAFの偉いさんに呼び出された直後「僕はも う降りたからね」と一方的な通告があってこの話は終わってしまった。N氏の国会での追求もこのころから急にトーンダウンしてきて、この数々列挙されていた 問題はどうなったか知らないが、幸いにも自動車レース部門の譲渡話もうやむやになってしまった。我々のリーダーが屈したのは元警察官僚のささやきだったの かも知れないし、N氏のトーンダウンは見返りの何らかの目的が達成されたからなのかも知れないし、当時、盛んにこの件を追及していた週刊誌等の記事なんか も眼にしなくなってきたし、結局、なにも解決されないまま、我々には知るすべもない世界での幕引き劇というところだったのだろうか。

近年、自動車レースは技術面でも構造面においても、より高度に複雑になってきているから、JAFの各委員会に もレース界の専門家が多く登用されるようになっているが、言わばこれは、ブレーンはレース界のボランティアが支えていて、どこからかやってきた門外漢が権 力部分を牛耳っているという構造に他ならない。
そもそも、このような任意の団体が日本の自動車レースを統括したいと望むならば、まず、この業界の発展、育成,振興に力を注ぎ、その存在の必要性を認めら れるように努力すべきだが、私から見る限り、権威を高めることによってしか生き延びる術を知らないようで、完全に業界の振興を阻害する官僚的存在である。 N氏による国会での追及ののち、一応の反省の態度を示したJAFは自動車レースに関する改善案を検討するための委員会を設置して前向きの姿勢で臨むと通知 してきたが、そのメンバーたるや、公益法人に詳しい弁護士や大学教授ばかりで、完全に保身を画策するために集めたメンバーに他ならない。100歩譲って、 この人たちが日本の自動車レースについて論議を交わしていたとしてもぞっとする。おそらく、いままで自動車レースを一度も見たこともないような人たちが テーブルを囲んで私たちの将来について何を語り合ってくれたのだろう?後日、その話題が出たときに、JAFの人が「先日、皆様をお連れしてサーキットに行 きました」と胸を張っていたのが印象的ではある。
FNへの移行期、ヨーロッパのF3000がワンメイクに移行する情報がなかなかJAFから伝わってこないので、チームがお金を出し合って代表者をFIAの ミーティングに参加させたことがある。その代表者の報告は面白かった。「過去においてJAFから出席した委員はYes以外には何も発言記録がありません。 このYesもNoの人は手を挙げてという場合のYesで、結局、なにもしていないということです」これはいつまでの過去のことか分からないが、当時の周辺 情報も含め、全く機能していなかったのは明白である。
また、これは最近の出来事であるが、ここのところ童夢のF3ドライバーから2名の脱落者が出た。これはJAFが定めたレーシング・ドライバーとしての資格 条件に運転免許証が必要という無意味で馬鹿げた規定によるものである。また、この規定がある限り、免許の取得年齢にならないとレースに参戦できないとい う、これも無意味で馬鹿げた状況が生じるが、そのためにJAFでは遅まきながら16歳からレースに参加できる「限定Aライセンス」というものをスタートさ せた。しかし、16才でFTに参加したドライバーが仮にチャンピオンにでもなった場合、スカラシップ制度により17歳でF3へ参加ということになる訳だ が、現在の制度下では普通免許の取得が必要なために1年間お休みとなってしまう。この矛盾を解消する為にF3協会からJAFに対し「F3への参加を17才 から可能」とするように働きかけているが、なぜかこのような場合、JAFはいちいち警察にお伺いを立てるらしく、警察から「F3は2000ccなので駄 目」という何とも笑い話にもならないようなお答えを賜ったそうだ。
ちなみに、同じ理由でFTはOKとなっており2200ccのFDは駄目ということで、このように、入門カテゴリーへの参加可能な年齢を引き下げようという 動きは、警察が決めた1850ccという根拠不明な排気量のボーダーラインによって中途半端な状態になっている。才能とチャンスに恵まれた若いドライバー が世界で活躍するためには、この年代の一年間はとても重要な時期であり、一刻も早くからスタートすべきなのは理の当然であるが、それを阻害しているのが、 本来は日本のモータースポーツの振興にもっとも努力しなければならないはずのJAFで、その陰のお目付け役が警察だと言うんだから「JAFよ、あんたは何 者?」と聞きたくなる。まあ、何者?というと「警察の天下り先の一つである公益法人」なんだから仕方がないが。
また、このF3ドライバーの失格がチームの監督不行き届きという理由で、JAFから童夢に対して「訓告処分」が下された。ドライバーの参加資格を審査する と言う自らの責務を棚に上げてのチームに対する処分なんて何をか言わんやである。
ちなみに、運転免許証の有効性の調査について、警察および自動車安全運転センターに問い合わせたところ、あくまでも個人情報なので第三者が確実に情報を得 られる方法は無いということであり、唯一、実効的な方法として考えられるのは、本人または委託を受けた代理人が自動車安全運転センターにおもむき、運転免 許証番号と共に申請すれば運転記録証明書の入手は可能との事だが、これはあくまでも申請日から最大過去5年間の違反暦や行政処分暦を確認することが出来る だけで、現在、免停かどうかを証明するものではなく、記載されている処分内容、日付等から類推するしかないとのことだ。
同時期に、2003年全日本GT選手権最終戦における12号車のラインショートカット問題と、トップを走行中の童夢NSXへ12号車が追突したことによっ て順位が入れ替わった事件に関してのJAF審査会の判定を不足として控訴していたが、却下という裁定が下された。
理由として謳われている主旨としては、「協議会審査委員会の裁量で決定している」から正しいということだが、その裁量幅があやふやだから科学的に納得のい く説明をしろと言っている訳で、何でも裁量(自らが任意に判断し処理すること)で済まされたらたまったものではない。しかも、その審査委員も委員長も各 レース毎に異なる現状では、一貫性のある審査は難しい。そのあやふやな判定の結果が、まったく同様の事例においてもレース結果に影響を及ぼさない訓告で あったり、決定的なダメージを与える1分間のペナルティ・ストップだったり、つまり、一般公道で追突事故を起こしたが、裁判官によっては起訴猶予になった り実刑をくらったりするようなもので、それでは秩序は維持できない。
童夢では控訴に際して、VTRの映像やロガー・データの分析結果を添えて、科学的な根拠に基づいた控訴理由を提出しているが、棄却の理由が「委員の裁量 幅」では話にならない。童夢としてはこの両件に関して、黙ってこの不条理な控訴棄却を受けるつもりはないが、存在すら認めたくないJAFを相手の控訴だの 棄却だのの裁判ごっこも馬鹿げているので、これらの件で被った被害の賠償に関して別途の解決手段を検討している。
しかし、今はその前に潰してしまおうと考えている。
いずれにしても、もともとJAFに審査能力なんて無いのだから、できるだけ感覚的でファジーな部分を排除して簡潔明瞭なルールの基に運営するように改善すべきである。
おおよそ競技と言うものは、その仕組みが複雑になればなるほどルールも複雑になり、ファジーな部分も多くなる。しかし、野球でもテニスでも、いろんなセン サーや録画装置を駆使すればもっと明確になると思われるところも、意外と審判の裁量に任されているところが多く、また、最近においてもそのような状況に急 激な変化は見られない。これはひとえに信頼関係のなせる業であり、JAFの場合はレース界の問題意識が低いおかげでなんとか権威を保っているようなものだ から、何か事あるごとに馬脚を表すわけで不信感は募る一方である。権威の道具として手放したくない気持ちはよく解るが、レースの健全運営のためにも、一刻 も早く身を引くべきだろう。
まあ、この種の不満は言い出せばきりもないのでこの辺にしておくが、いつも、この話の結論として、「じゃ、誰が替わりにやるの?」とか「経費は誰がだす の?」ということでうやむやになってしまう。しかし、私に言わせれば、現在、JAFがやっているようなことは誰にだって出来るし、それなりの収入も伴う訳 だから、役に立たない天下りに無駄な給料や退職金を払わなくて済むならば充分に採算は取れるだろう。
先日、レース界の古株の一人、山梨信輔氏を偲ぶ会に行った。まるで同窓会のようでもあり敬老会のようでもあったが、今後、このレース業界にも高齢化の波は 押し寄せてくる。引退したドライバーやベテラン・メカニックなど、これから我々の仲間がどんどん現役を退いてくるだろう。長らく業界に貢献した経験豊富で 気心の知れた彼らが日本のモータースポーツを統括する役割を担ったら合理的でもあるし、再雇用の機会も増えるし、何よりも前向きな運営ができるようになる と思うのだが。
これはレースの世界に限ったことではないが、日本のシステムで私が最も理解できないのが人事だ。JAFのモータースポーツ局長なんて、ひょっとしたら日本 のレース界の命運を預けることになるかもしれない要職に、まったく異なる業界から未経験者があてがわれる。現職の就任の挨拶は今でも忘れない。「私は自動 車レースに関してはまったく素人ですが、これから勉強して皆様のお役に立てるようにがんばります」って、こういう人たちはどこから拾われてくるのか知らな いが、例えその業界での専門的なノウハウや感性が無くても指導的な役割を果たせると信じているのだろうか? 私だって、急に「日本将棋協会」の会長になっ てくれと頼まれたら断る。当たり前だろう。将棋を知らないんだから。
ついでに言えばJRPのトップも同様に、ど素人が次々と送られて来ているのが現状だ。日本のレース界も、こんな素人連中を祭り上げて身を委ねているうちは 決してプロフェッショナルな世界には到達し得ないと思うが・・という事は、素人同士で釣り合いは取れているということか?
再度言うが、要するに他力本願体質のレース界は、当面、お金がかからない状況に擦り寄っているだけで、そのためにサイドブレーキを引いたままのような日本 の自動車レースの状況から眼を背けているだけである。そのお金も、必要相当な体制なら自ら賄えるものを、役立たずに無駄飯を食わせるために必要になるだけ で、それもJAFの一般会費からの流用であったり、利権商売の収益であったり、税金免除のおかげだったりする訳だから、日本のレース界も一日も早く身ぎれ いにしておくべきだと思うが、いかがだろう。

さて近々、JAFを排除して、プロフェッショナルで健全な日本の自動車レースの再構築が始まることを期待しつ つ、ここでレーシングカー・コンストラクターの立場というか、一般のエントラントよりは少しは異なった角度からの意見として、現存カテゴリーの改善につい ても意見を述べてみたい。

「FORMULA NIPPONの終わりと始まり」
新人ドライバーが、SRS-FからFD,FT、そしてやっとF3にたどりついたとしても、その後にもしJGTCしかないとしたら、そこからF1やIRLへ の道は途切れてしまう。そういう意味でもFNの存在は重要な意味を持っているので、何とかしてちゃんとした形で残ってほしいものだ。
まず最初に、なぜFNが自動車レースファンに受け入れられないのか、その実情を分析しておかなくてはならない。私の言いたい事はもうお判りだろうが、根本 的には「自動車の競争」という部分があまりに軽視されていて、レーシングカーらしきものが疾走している割には、何が戦っているレースなのかが非常に解りに くいという事があるだろう。
そもそも、自動車レースというものは、いろいろな戦いが織り成す相乗効果によってその魅力を構成している。自動車だけが戦うのなら、それこそ不定要素を排 除する為にベンチやテストトラックで性能を計測して競えば良いのだし、ドライバーのみが腕を競い合うなら車両の個体差を無くすために完全に同一な車両を用 意すべきであり、つまりそこに自動車の個性は必要なくなる訳だ。本来はそれらが渾然一体となって面白さをかもし出している訳で、FNはそれらのバランス感 覚が欠如しているというか、信念がないというか、そんなところに根本的な問題があるのではないかと考える。
もうひとつの重大な過ちは、ハードウェアの戦いを排除したことによって、自動車関連企業の参入機会を無くし、資金の流入まで閉ざしてしまった事にある。
それは、JGTCの隆盛と比べれば一目瞭然だが、そのサーキットには自動車メーカーの人も居ないし、タイヤメーカーも1社だけ、もちろん、コンストラク ターの姿も無い。これでFNが大人気というのであれば、私は根底から考え方を改めねばならないが、現状を見る限りその必要はなさそうだ。
FNがこうなった理由は、ドライバー中心思想というよりは、その観点からしかの発想しか持たない人たちを中心に構築されたJRPの構造にある。
JRPがスタートした当時、日本で唯一、F3000シャーシを製造していた童夢と、全てのエンジンを供給していた無限になんの相談も無いまま新生FNに関 するいろいろな事が決められていく状況にたまりかねて、私と本田博俊氏がJRPに会談を申し入れたが、そのときのJRPの回答は「中心的にご相談している 方がいらっしゃいますし、あまりいろいろな方にご意見を伺っても混乱しますので・・」と軽く一蹴されてしまった。その後、赤プリのティーラウンジに取り残 された本田氏と私は「こりゃあかんわ」と顔を見合わせたものだった。その結果、TV局から来た全くの素人とその中心的な人物の意見だけで全てが決められて しまうことになる。
私は、FNがスタートする以前にPOST F3000案として、ワンメイク・モノコックとギアボックスを供給し、それを使って国内外の複数のコンストラクターがシャーシを製作する方法を提案していた。
それは当面の対策として、開発に一番お金のかかる部分を排除した方法で、このパーツを利用して豊富なバリエーションのシャーシが生まれる可能性もあるし、 開発には空力が関わってくるので、日本のレース業界も現在のレーシングカー開発技術の中枢となっている重要なテクノロジーを段階的に習得してゆくことも出 来る。
風洞は、ムーンクラフト、東京R&D、矢島工業(元童夢の25%風洞)など、一般でも廉価に利用できる設備があるし、サスペンションなんかの開発に関して は現状の小型フォーミュラなんかを開発しているコンストラクターたちにとっても難しいことではない。
これは当時、珍案奇案として見向きもされなかったが、その後はDTMでも同じような方法が採用されたのをはじめ、ギアボックスのワンメイク化などは各種のレースで実現して来ている。
しかし、JRPは従来のレギュレーションのまま、自由にコンストラクターが参入できるという方法を選択した。自由な参入というのは言葉の響きは良いものの、これは全く無知蒙昧としか言いようの無い選択ではあった。
「自動車の競争」を提唱する私が、なぜこれを無知蒙昧とするかというと、まずこの年までこの方法がまかり通っていたのは、世界中のF3000レースが同じ レギュレーションだったからで、すなわち、複数のコンストラクターが世界の市場に向けてリリースしているシャーシの一部が日本に輸入されていたに過ぎな い。
次年度から国際F3000がワンメイクになる事が決まっていると言うことは、コンストラクターは日本の市場だけをターゲットにシャーシを開発しなければな らないわけで、高々、上手くいって20台そこそこのマーケットの為に、数社のコンストラクターが開発競争を繰り広げられる訳も無く、各コンストラクターは 市場を独占することのみを目標に参入し、当然の結果として、事実上のレイナードのワンメイクとなった訳だ。
ワンメイク・シャーシの最大のメリットは量産による低価格だが、FNの場合、価格的にはもともとが一般価格であるために、結果的に、世界一高価なワンメイ ク・シャーシとなってしまった。何で、こんな単純な予測がつかないのだろうと不思議に思うが、もうひとつ、この業界の不思議な一面を如実に表すエピソード がある。このレイナードのワンメイクになった年、このシャーシの輸入代理店が800万円のバージョンアップ・キットの販売を発表したが、率先して購入を表 明した輸入代理店の傀儡(立場は反対かも)チームにつられて多くのチームがこれを購入した。みんなで申し合わせて止めれば済む話で、このご時世に、なんで 競って無駄なお金を使いたがるのか本当に理解に苦しむことの多い業界ではある。
そして、その後レイナードが倒産し、次のシャーシを捜さざるを得なくなりなったが、紆余曲折の末、ローラのワンメイクに決まった。しかし当時、レイナード の新車を買ったばかりのチームも少なくない状況で、これらを捨て去るような総入れ替えは疑問の残るところではあるし、また、これを認めるチーム側の気持ち も全く理解できない。
今まで、絶対にワンメイクは避ける方針と言い続けてきたJRPならば、まず最初は空力かウェイトによる性能調整を加えたレイナードとローラの混合レースと してスタートし、その後、レイナードの部品が途絶えるとともに、徐々にローラのワンメイクに移行しても
良かったはずで、また、当面はそのほうが絶対に面白いレースになったはずである。
当時、私はこの混合レースの提案を各方面にアピールしていたが、なんらかの強引な力に
よる流れは止められなかった。
FNシャーシに関しては、以前にMLを開発した際に無限が耐久性を高めたエンジンと共にJRPに導入の打診をしたことがあるが不必要であると断られた。理 由は、エンジンに関しては長年苦労を共にしてきたエンジンチューナーの仕事を奪うということ、また、シ
ャーシに関しては一社(童夢)が独占することは良くないとの意見であった。
これは、HONDAにはFNのシリーズの中にオーバルレースを導入しょうと言う魂胆はあったものの、チームにとっては大変にメリットのある話で、特にエンジンに関しては年間1000万円以上のコストダウンになるというのにである。
これら一連の状況を観察してきて解ることは、どうやらシャーシの販売に関しては一つの利権となってしまっているようで、日本のトップカテゴリーにどのよう なハードウェアが適しているかというような論議以前に、特定の輸入業者から外国製を購入することが前提となっているようだ。
まず、FNはここらあたりの姿勢を正すことから始めないと、なかなか先が見えてこないのではないだろうか。

さて、ではこれからのFNをどうすればよいのかという話だが、体力が消耗してきた現状、苦し紛れにコストダウンばかり考えているとレースのグレードはどんどん低下してゆき、いずれ観客もその正体に気づき始めるだろう。そうなると再起はおぼつかない。
そこで私は少し前まではIRLのシャーシとエンジンを流用することにより、一気にポテンシャルの向上を図るとともに、FNのチャンピオンがINDY500 に参加できたり、また逆にINDYドライバーがFNに参加出来たりの交流も図れるという図式が最適だと考えていた。現在のIRL用シャーシはオーバル専用 なのでロードコースを走るのは難しいが、2006年からのシャーシは可能となる予定だ。エンジンももうすぐ3リッターに変更されるので、 HONDA,TOYOTAとも3.5リッターのエンジンは山ほど余ると聞く。但し、IRLシャーシのキャッププライスが約3500万円、エンジンは同じく 約1900万円+ECU等の700万円ほどだが、エンジンはオーバーホールに関しては制限が無いので、実勢価格はかなり高くついているようだ。
エンジンの耐久性を向上させてオーバーホール回数を制限しても、全般的に現行のFNよりはかなりのコストアップとなってしまうが、ホンダ、トヨタに各々 10台分のエンジンを提供して頂けるとしたら、チームの負担は現状並みに抑えられるし、パフォーマンスの向上するぶんだけメリットは大きいのではないかと 考えていた。自動車メーカーの負担も大きいと言えば大きいけれど、小さいと言えば小さいし、無理と思えば無理、意外と簡単と思えば簡単な話である。
本来は3つのコンストラクターが参入可能なIRLだが、1社の脱落により、現在はダラーラとGフォースの2社が熾烈な争いを繰り広げている。レギュレー ション上、空力開発なども厳しく制限されているが、それでもスペックのフリーズ前の各社、各チームの駆け引きなどは、高度な専門知識なくしては戦線離脱に 等しい。フリーズ後も残されたわずかな部分で性能向上を図らなければならないし、各コースでのセッティングの要はやはり空力だ。常に情報収集に奔走し、常 に改善に努力しなければならない状況でのエンジニアリングは、やはりワンメイク・レースのそれとは比較にならない。滝に打たれての修行とぬるま湯の温泉に つかっている位の差はあるだろう。もちろんF1は寒中水泳くらい厳しいだろうが。

このIRL案がN/Gな場合の対案だが、やはり、先に述べた原則論からも自動車メーカーを巻き込んでいくよう な企画でなくてはならないし、しかも、現行予算以下でファンが満足するFNを考えなくてはならない。結論から先に言うと、それはずばりノーマル・エンジン とベンチュリーカーの組み合わせだ。あくまでもIRL案が無理な場合の対案ではあるが、ぬるま湯がちょっと熱いジャグジーくらいにはなるかもしれない。
ドライサンプ化は必然として、フライホィールの軽量化やポート磨きなど、改造範囲をかなり強力に制限したエンジンで失ったパワーは、緩和された空力と実質 的にタイヤ交換が必要なソフト系タイヤによって補われ、現行FNとほぼ同等のラップタイムを保つ上、ハイスピードのコーナリングは今までに増して迫力を増 し、ドライバーの力量差も如実になってくるだろうというシナリオだ。
また、ベンチュリーカーと言えば、車体幅いっぱいのサイドポンツーンを連想するが、私はこのスタイルも採用したい。これにより、タイヤ同士の接触によって車体が飛び上がるような大事故は大幅に減少するだろう。
エンジンは各自動車メーカーのものを自由に選択できるようにしたいが、そうなると3.5リッターNAということになる。もう少し排気量が大きいかターボが あればいいのだが、計算上、3.5リッターNAでは少しラップタイムが落ちるだろう。ここらあたりは微妙なので、出来ればプロトタイプを製作してテストし て見たいものだ。エンジンは当初はノーマルに近いだろうが、自動車メーカー各社のエンジンを使うことから、自然発生的に競争原理が働き、将来における運営 上のメリットとなっていくことを期待できるし、タイヤの競争も見所となっていくだろう。
シャーシはPOST F3000時代のアイデアを復活させて、ワンメイク・モノコック、ワンメイク・ギアボックスとし、その他の各部品も販売する。その部 品を使って、例えばムーンクラフトやNOVAなんかがオリジナル・シャーシを仕立てて販売するという方式が楽しそうだ。もちろん童夢は参加を遠慮しておこ う。ボディワークはモノコックを覆うタイプとし、チームやコンストラクターの空力技術が反映出来るようにしておくのだ。
また、あらかじめ設計上対応しておくということが前提だが、このタイプのシャーシの特徴としてフルカウルタイプのGCカーなどへの転用や共用も容易だか ら、富士スピードウェイのリニューアル・オープン時の新イベントとしてこのシャーシを使ったGCスタイルのレースが復活すれば、FNのチームは非常に低コ ストで新たなレースへの参戦が可能となるだろう。極端に言えば、カウルとリアウイングさえ揃えれば、もうひとつ違うカテゴリーのレースに参加できるという 訳だ。

しかし先日、仕事で訪問したヨーロッパの某社では折から新GP2(ヨーロッパの新しいF3000シリーズ)用 の4リッターV8エンジンを開発していたが、この600HPを超える出力のエンジンとダラーラの新型シャーシの組み合わせをF1の予備校におかれたら一気 に進学率は向上しそうで、パフォーマンス的にノーマル・エンジンの貧乏フォーミュラ案では太刀打ちできないかもしれない。エンジンは一年間ノーオーバー ホールで価格も現行FNと同等らしいから、また日本も追従しか無いのだろうか。
F3000の低迷を改善するためによりF1に近づけた対応策であり、ルノーの協力を取り付けてコストダウンを図り、それなりに世間の期待感を集めているところを見ると、やっぱり日本の現状はなんとも歯がゆいし情けない。
追従は容易だが今までの繰り返し。IRL導入案は自動車メーカーの協力なくしては実現不可能。自動車の競争原理を組み込んだ新しい企画は、しっかりと構築 すれば近未来の東南アジアにぴったりのカテゴリーになるかも知れないが、現状の日本のレース界の感性では理解が得られないだろう。まあ、どれを選択するに してもそれなりの英断と業界の努力が必要、という事は、当面は無理ということか。
例えば、同じような機能のFTとFDを一本化し、これにNISSANが加担するとか、また、適当なエンジンを持っているTOYOTA、HONDAが割り勘 で新FNを支援するというような構想が実現するようになって来れば、少しは未来に希望も湧いてくるというものだが・・・。

「JGTCの悲鳴が聞こえる」
JGTCは隆盛を極めている。確かに、このレースが無ければ今の日本のレース界はオイルショックの時代のように、灯の消えたような状況に陥っていたかもしれない。だからこそこのレースを大切にしたいものだ。
しかし、どこの国の話か忘れたが、砂山をスコップでA点からB点へ移させ、それが終わるとB点からA点に移し変えると言う作業を続けさせていると、最後に は気が狂ってしまうという拷問か刑罰があったそうだが、現状のGTマシンの開発と言うのはこれに似ていると言えなくもない。
もう開発の余地が残されていないほど煮詰まった状態から、レギュレーション変更という名目で行われる性能調整は、技術開発競争という名の創造的なイメージ から程遠い失地回復作業みたいなものでうれしくも楽しくもない。性能を向上し抑えられ、また性能を向上しまた抑えられ、そして、そのたびに大変な開発費が 投入される。その、投入していただく側の私がこんなことを言うのもおかしいが、はっきり言って無意味で無駄だ。
魔法のアップスイープも、究極のピストンリングも、革新的ギアボックスも、観客やファンのほとんどの人達がその技術的な難易度を理解している訳ではないし、その成果は瞬く間に性能調整として闇に葬られる。
いずれにしても、JGTCは無理やりにでも三つ巴の戦いを演出するという大命題のもとに、やや理不尽ともいえるレギュレーション変更やハンディキャップ制 度を実施してきて、ある面、それが成功しているのだから、私はJGTCの持ち味としてこれはこれで否定はしないが、それならそれで、もっとリーズナブルな 方法はいくらでもあるだろうと言いたいのだ。性能調整のためにレギュレーション変更をしたりハンディ調整するのだから、性能格差が生じたら速やかに対処す べきである。そうすれば、車両を開発する側は大金を投じて改良を加えても、どうせ速やかに対処されるんだから結果的に車両には莫大な開発費を投入しなくな るという訳だ。
だから、いったん決めたことだから一年間は変えられないとか、技術的努力で状況を改善すべきなどという論理は、JGTCの仕組みから見ればまるで矛盾する話ではないか。
それに、一年間は変えられないというような確たる根拠をもてるほど科学的な方法でレギュレーションが決められている訳ではないし、技術的努力で状況を改善 と言うなら、皆さんノーハンディでも勝てるように技術的努力をしてくださいと言いたい。
ここで、あまり舞台裏のしかけについて論ずる訳にはいかないが、とりあえず性能をコントロールすると言うことに抵抗感を無くしたと言う偉大なる功績を誇る JGTCなんだから方法論なんかいくらでもあるし、どうにでも出来る。とにかく、自動車メーカーに無意味なお金を使わせないような方法で長続きするように 「うまく」やって頂きたいとお願いするしかない。これぞ究極の「自動車を使った競技」なんだから。

ところで、実はJGTCに関してはこちらの方が主題なのだが、JGTCのもうひとつのウィークポイントは海外 との交流が図れないところだ。JGTCを観戦した海外のレーシングチームの人たちは、必ずあのマシンをヨーロッパなどで走らせられないかと聞いてくるが、 まったく独自のレギュレーションによって造られているためにJGTC以外のレースにはほとんど参加することは出来ない。このローカルな体質を改善するため に、この際GT-300をFIA-GTのレギュレーションに合わせてしまうというのは如何だろう。こうしておけば、海外のGTカーもJGTCに参加できる し、JGTCに参加しているFIA-GT仕様のGT-300マシンが海外遠征することも出来るし、国際的な交流も盛んになるのではないだろうか。ざっとし た計算では、ラップタイム的にはやや遅くなるかもしれないが、現在の格落ちレースと言う立場よりは、違うステイタスのレースになるのではないかと思うのだ が、いかがだろう。
実験的に実際のレース時にトップクラスのFIA-GTチームを招聘して、特別参加してもらうと性能差の検証が容易に出来るだろう。
ただし最近、まるでレーシング・プロトのようなマセラティのGTマシンが出現したが、実は童夢でも開発計画の予定には入っていたし、ヨーロッパからも開発 に関して複数の問い合わせが舞い込んでいる。生産台数の規定が緩やかなので予想できたことだが、こんなGTが増えると既存のロードカーベースの勝ち目は絶 望的になるし、GT-500も危ういので問題も多い。我々だってレギュレーションの変更を誘発しないようにもっとロードカーらしいデザインを考えていたく らいなのに大人気ないぞ!!と言いたいところだが、まあ、童夢が開発していても結局はレギュレーションぎりぎりで造ってしまうだろうから非難は出来ない が。FIAが何らかの対応策を講じるかもしれないし、ここらあたりはもう少し調査を進める必要があるだろう。


例えば童夢のGTマシン

「遠吠え」
私がここで何を叫んでも、それが遠吠えにしか過ぎないことはよく解っているし、ぶつぶつ言うくらいだったら改革の実現に努力しろという正論には耳が痛い が、この文章の内容を見ても解るように、日本のレース界の大半の人達とは根本的な部分で考え方が異なるし、一般の自動車レースファンたちとはもっと違うだ ろう。
この私にだって、先頭に立ってレース界の改革に取り組んでいた時期もある。その結果、レース界のお歴々と自分の考え方の落差に埋めきれないものを感じて自 ら一線を画すことにした訳だが、それでも自分の人生を賭してきた日本のレース界の繁栄を望まないわけはないし、誇りの持てる世界になってほしいと思うから こそ、たまには遠吠えもしたくなるというものだ。
しかしまあ、私もかなり日本のレース界を冷めた目線で見ているところもあるし、日本のレース界からみても異端のやっかい者扱いかも知れないが、結局、望む ところは同じなんだから、いずれ嫌でも協力し合わなくてはならない時が来るだろうし、また、そうなった時が改革の始まりだと考えている。

林 みのる