COLUMN / ESSAY

「NSXが負け続ける本当のわけ」 ―レース話―

かわいそうなNSXが世間の同情を一身に集めつつ、今日もまたスープラやGT-Rの壮絶な戦いの彩りとしてサーキットを駆ける。
そもそも、まともに戦えばスープラやGT-Rに負けるはずのないNSXが、スープラに対して70Kg、GT-Rに至っては90Kgものハンディウェイトを 積んであげたり、リストリクターも5.2リッターのスープラ、3リッターターボのGT-Rに対して、1穴の場合、42.3φ対43φでたった0.7mm差 を押し付けられたりしているのは何の為なんだ?
無理やりにでも三つ巴の戦いを演出してJGTCを盛り上げようという、お互いの納得の上での紳士協定みたいなものじゃないのか?
そもそもゴルフのハンディでもそうだが、基より勝負にならない対戦相手でも擬似的に戦っているような状況をつくって楽しむ為の方策であって、プロのトーナ メントにネットもグロスもペリエも無い。ハンディというものは、勝てないまでも大負けしないという程度の設定をよしとするものであり、ハンディを貰ってい る方が毎ホール勝ち続けて大はしゃぎの図なんて滑稽でしかない。
理想を言えば、安定的で公平なレギュレーションの基に技術開発競争が繰り広げられればそれに越したことは無いが、毎年微妙に調整されるレギュレーション変 更という名のハンディ調整は、開発技術という名の創造的なイメージから程遠い失地回復作業みたいなものでうれしくも楽しくもない。創造的技術開発を日々の トレーニングにより肉体を創りあげていくボディビルに例えるならば、JGTCのレギュレーション変更は、いわば毎年のように大事故に遭遇して体の各部に障 害が発生しても、日々のリハビリで少しづつ健常者に近づいていく努力みたいなもので、もちろん最初から障害を受けないに越したことはない。
いまさら悪口をいうのもはばかられるような悲惨な状況のFNがあの体たらくでは、何としてもこのJGTCを華やかな状況にしておかないと、日本のモーター スポーツの致命傷にもなりかねない。その点である程度の調整は仕方が無いとは諦めているが、それはあくまでも三つ巴の戦いを演出するためで、いずれかの車 を一方的に勝たせるためではないはずだ。
だったら今のハンディキャップのつけ方は間違っていたわけで、それなら直ちに修正を加えるべきだ。
安定的で公平なレギュレーションの基の開発競争に敗れて一年を棒に振るなら話はわかるが、性能を無理やり同等化するための調整ミスのおかげで、特定の車が 一年を通して後塵を浴び続けないといけないなんてばかげた話は筋違いもはなはだしい。

しかし、これらのレギュレーション変更に関しては、なにも密室でこそこそ捏造されているわけではなく、ホンダサイドの関係者も出席する公明正大な場で協議されている。
実は、今年のNSXが勝てない最大の原因は、この場での戦いにすでに敗れているからである。
私から見れば、敗れているというよりは参戦していないというほうが正しいかもしれない。 どうもホンダには、こんなところでエゴを剥き出しにした我田引水合戦にまみれることを潔しとしないというような美学があるようで、なにを決めても技術力で カバーするからどうぞご勝手にというような雰囲気を感じることが多い。
ところが近年においてはレギュレーションもかなりこなれたものになっているし、各社の技術レベルもそこそこ拮抗している状況では、技術力で得られるアドバ ンテージもそれほど大きな差ができるわけではなく、ちょっとしたレギュレーションの変更により形勢が一挙に逆転してしまうケースも起こりえる訳だ。
私は常々ホンダの担当者に「レースはレギュレーションを決める段階から始まっています」 と言いつづけて来たが、これからは充分な対応をしていただけるようになるものと期待している。

いずれにしても、三つ巴の戦いを演出するという大命題のもとにやや理不尽ともいえるハンディキャップを受け入れてきた訳だから、その設定の誤りが明らかになったら直ちに修正を加えるのが道理である。
そこに、いったん決めたことだから一年間は変えられないとか、技術的努力で状況を改善すべきなどという論理は当てはまらない。一年間は変えられないという ような確たる根拠をもてるほど科学的な方法でレギュレーションが決められている訳ではないし、技術的努力で状況を改善と言うなら、皆さんノーハンディでも 勝てるように技術的努力をしてくださいと言いたい。

そして、私がもう一つ言い続けていること。それは一般のファンから見て解らないような部分に莫大な開発費を投入しないとやっていけないような結構シリアス なレギュレーション設定と、異常なほどのハンディキャップレートはどう考えてもなじまないし、自動車メーカーに無駄な負担を押し付けるようなところもある ので、目的が三つ巴の戦いの演出ということなのだから、もっと割り切ったやり方ができないものかということである。
例えば、シャーシはもっとお金のかからない方法で製作し、外観の自由度を拡大するとしたら、今以上に迫力のあるマシンが出てくるし、ファンに開発のプロセスを理解してもらえるような外的な変化を見せることもできるようになる。

JGTCは日本のモータースポーツを支える最後の砦だと思うし、それだけに期待も大きい。競争である以上、みんながこぞって満足する状態なんてありえない とは思うが、私はJGTCを優れた興行だと理解しているし、人為的にいろいろ調整可能な構造なんだから、その特質を活かして是非「うまく」やってほしいも のだと願っている。

林 みのる